しゃべるとしぬぞ

口は災いのもと。

 

人の口に戸はたてられないと言うけれど、じぶんの口くらいにはしっかり戸をたててあげないと、痛い目いっぱいみちゃうんだろうなあというのが最近生きててじぶん自身のしみじみとした実感です。

結構しんどいことが起こった。

すごい疲れちゃったけど、ネガティブにぐるぐるしそうになったけど、それも嫌だから、ポジティブな誓いをたてました。

最後だけ無駄にハイテンションになるけど、許してね!!

 

 

 

伝言ゲームなんて絶対うまくいかない。

こっちの意図した意味で伝わることはなくて、だから同じように、人の言うことも話半分できかなければいけないのだろう。

 

女優や俳優が本質的なものであるなあと、ふと思った。

人は生きていく上で、演じ続けなければいけないのだと思う。

思ってることをだだ漏れにしてしゃべってはだめだし、どんな言葉を拾われて拡大解釈されるかもわからない。

 

「あいつお前のこと◯◯って言ってたよ」

とか、悪意のない悪意のせいによって、じぶんのあずかり知らぬところで拡がってしまうことがある。

 

また、じぶん自身がそんなしよーのない人間になるのも、人としての質が下がりそうでなんか嫌だ。

 

でもやっぱり、人の話をするのが何よりも面白い。

あいつはこーだ、あーだこーだと好き勝手言うのって、てきとうで、むだで、だからこそ面白いのだと思う。

共感は居心地がいい。

一番身近でえられる共感ってのが共通のにんげんについてで、だからうわさ話はなくならないんだ。

 

「あいつこういうところあるよなー」とか「こんなことがあった」とか、しゃべっていいのは根本的にじぶんの味方でいてくれる人だけなのだと思う。

じゃないと、秘めた悪意によって、拡大解釈された「こんなことがあった」が巡っていって、最終的にじぶんがヤラれてしまう。

 

だから人間には、パートナーが必要なのだと思う。

 

じぶんの話したことを悪意でねじまげない人が必要なんだ。

 

けんかじゃないから敵とか味方とかはないのだけれど、結局人が二人いたら、どちらかに少しは寄らなければいけないのだと思う。

意見を寄せるのではなく、心を寄せる。またはどちらからも離れる。

 

じぶんは一人しかいないのだから、同時に違う場所には立てない。

こんな簡単なこと、なんで今までぼくは気づかなかったのだろう?

 

とにかく、だれが悪いとかではなくて、しゃべると巡り巡ってじぶんがしぬんだなあ、という実感がいまさらながら、あらためて強くある。

 

なので、ここに誓います。

 

寡黙な男になる!!!!!

 

ぼくの今年の漢字はこれで決まりですね!

 

黙」もく – 書家 玲泉 Reisen

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