人って人で良くも良くも変わるんだなあって話

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結構ずっと考えていた、
何で人って結婚するんだろう?
どうせ変わってしまうのに。

 

って。

 

辛いもの嫌いだった人がいつのまにかカレーばくばく食べてる。
早起き無理って言ってた人が毎日朝6時に起き始めた。
タバコあれだけ吸わないって言ってたのにお前吸うんかい。

 

とか。

 

変わることは悲しいこと。
「変わったね」は、けなし言葉。

 

ぼくの周りで仲良し夫婦というものをみたことがないのも関係しているのかもしれない。

ずっと結婚に対して懐疑的だった。

 

"変わってしまう"人同士が、何のためにずっと一緒にいようと思うのか。

 

だから変わることがぼくはマイナスなものだと思っていた。

そのくせ「どうせあなたは」と言われるのも癇に障った。

 

でも変わったねって言われてうれしく思うことがあって、"変わること"にあるポジティブな面やネガティブな面よりも、どうして変わるのかを考えてみたくなった。

 

人って、どうして変わってしまうのか。

それは、人と関わるからなんだと思う。

 

何かを言われたとか、人間関係で重要な出来事があった、とかではなくても。

じぶんは辛いのが苦手だけど、カレーをめっちゃ美味しそうに食べる友だちがいたとか。

ちかしい友人で毎日目標をたてて早起きしてる人がいるとか。

 

きっとそうやって、じぶんにはそのつもりがなかったとしても、周りの人々、付き合う人々によってじぶんも相手も少しずつ変わっていくんだ。

 

思い返してみれば、というかぼくにとっては明白に、あからさまに、多分に影響を受けて変化しているに違いなかった。

 

小学生のころから、ぼくはよく人の決まった仕草やしゃべり方を意識的にも無意識的にも真似する癖がある。

立ち方とか、笑い方とか、ひじのつき方とか、食べ方とか。

その人のことを考えながら、つい同じように行動してしまう。

 

兄や姉にいじられ、まるで人間でないような、変な妖怪呼ばわりされていたぼくは、未だになぜだか、何をやっても笑われることが少なくない。

さいころに頭から転んで大泣きしてるぼくをみて大笑いする家族とか、中学の教室でホームルームをぼぅっときいてるだけのぼくをみて爆笑するクラスメイトたちとか。

 

そんな"人間らしくない"ぼくからしたら、周りにいるどんな人も完璧な人間に思われて、憧れて、真似をしてしまうのかもしれなかった。

 

でも結局みな同じように、人と一緒にいると少なからず影響を受け、変化をしている。

友だちと大きなケンカになって、相手の意見を突っぱねたとしても、ちょっとはじぶんの心の中に溜まって、変化を及ぼしているのだと思う。

お互いに。

気づかないだけで。

 

ちょっとずつひどくなったり、

ちょっとずつ優しくなったり、

ちょっとずつ固くなったり。

 

それもぜんぶ、人のせいだし、人のおかげ。

 

人生って、何のためにあるのかって言えば、じぶん自身の変化を楽しむためにあるんだと思う。

迷って、後悔して、選択して。

自身の意思の弱さに絶望して、相手の裏切りに悲しんで、思わぬ機会に喜んで。

そういった様々な変化の中で、じぶんをどう捉えるか。

 

その変化は怖いかもしれないし、痛いかもしれない。

 

変わることはよいこと。

良くも良くも、どちらにしろ変わるんだ。

そう思っていた方がいいのかもしれない。

 

それもまた、いいじゃない?