笑ってくれるからどうでもよくなっちゃった

じぶんってつまんないんだよね、って言う人ってたいていつまんなそうな顔してる。

一緒にいて面白いとか、楽しいとかって、オチのある話が言えたりツッコミが鋭かったりとかじゃあない。

話とか出来事を、バカみたいに笑ってしまえる人が、そんな関係が、面白いってことなんだと思う。

 

ぼくが大学生の頃、姉はよく怒っていた。

何かをしたに違いないと思うのだけれど、その何かがわからなくて、姉は怒ったままだった。

ある日、ぼくは彼女の部屋のあいた扉の前まで行くと、

「ホチキスを貸してくれない?」

と言った。

「ちっ。はぁ? なんでじぶんの持ってないの?」

「……ごめん」

姉はベッドに寝転びながら不機嫌そうな顔で、部屋の向かいにある勉強机を指差した。

ぼくはゆっくりと部屋に入る。

引き出しをあけて、水色のホチキスを手に持つ。

「ありがとう」

とぼくが言うと、小さなうめき声みたいなのが聞こえた。

それがありがとうに対する返事だとは思いたくなかった。

 

大学のレポートをまとめて、ホチキスを使い終わったぼくは、再び姉の部屋へと行く。

「ありがとう、これ返すね」

と言って部屋に入ろうとしたぼくに、姉ははんにゃの表情でキレた。

「勝手に部屋入るな!!」

「ご、ごめん…」

すぐさま謝ったぼくは、一度姉の部屋から出ると、恐る恐る口を開く。

「ホチキスありがとう、どこ置いておけばいい?」

姉は勉強机を指差して、グゥ、とうめいた。

鬼の目を盗んで洗濯するのって、こんな気分なのかなあとか思いながら、姉の部屋を出たぼくはほっと一息つく。

 

もう二度と借りることはあるまい。

と思いながらじぶんの部屋に戻って、ぼくは絶望した気持ちになる。

まだホチキスでとめていないレポートの束があったのだ。

大学で友達に借りるか…、それとも鬼の元に戻って再びホチキスを使うか、迷った挙句、心の中で涙を流しながら、ぼくは姉の部屋の前に立っていた。

今日の彼女の機嫌の悪さは底抜けている。なるべくなら関わりたくないのに、こうして三度も相対してしまうとは。不注意さと、マイホチキスを持っていないじぶんを呪った。

「ごめん、もう一回ホチキス借りていい?」

「ちっ!」

それ以上言葉はなかった。

いいよ、と脳内で言葉を変換させたぼくは、彼女の気が変わらないうちにすばやく青色のホチキスをとると、すぐさまじぶんの部屋へと戻った。

 

じぶんの部屋で、再び借りに行くことがないようにていねいに確認しながらホチキスを使う。

ふと、ホチキスの頭の部分に書いてある、少しかすれたマジックペンの字を見つめた。

ひらがな四文字。

 

なになに。

よ。

う。

す?

……け?

 

世界中の誰よりもよく見知った名前が目に入る。

一瞬思考が止まって、そこからじわじわと色々追いついてきた。

「ってこれ俺のじゃねえかあああ!!」

思わずぶん投げてしまったホチキスをつかんで、姉の部屋へと走って、

「これ!! 俺のなんだけど!!!!」

とホチキスに書かれた字を見せつけると、一瞬気まずそうな顔をしたあと、姉はゲラゲラと笑った。

 

ふざけんな! 人に散々キレやがって、「なんでじぶんの持ってないの?」って舌打ちしといて!

とぼくはめちゃめちゃ怒って、次の日の朝もムカムカがとまらなくて、朝一番に課題のために集まった大学の友達に、出会ったその瞬間に「きいて! 昨日こんなことがあって!」とすべてを話した。

激しく怒っていたぼくの話をきき終わった友人は、隣でゲラゲラと笑い出した。

「何それ、めっちゃ面白いじゃん、ようすけ君すべらない話出れるよ」

それをきいた瞬間、ぼくの怒りはぐわぁっとしぼんだ。

さっきまでなんで怒っていたのかもわからないくらいになって、なんなら面白かったって言われてとてもうれしくなる。

笑うって、すごいなあ。

こんな屈託なく笑われたら、怒りってなくなるんだなあと思った日だった。

笑ってくれるから、どうでもよくなっちゃった。

 

この日ぼくが得た教訓、というかオチは、

「一度ウケたからといって他の人にもウケるとは限らない。そういえばその子以外誰も笑ってなかったから、そもそもそんな面白い話ではなかったのかもしれない」

である。