愛が何であるかなんて考えて

愛ってなんだろうって考えても、本当に仕方がないのだと思う。

仕方ないからこそ考えてしまうのもまた真実なのだし、ことあるごとに考えてしまうのもまた興味深いのだけれど。

 

愛を信じ、愛を疑い、愛に傷つき、愛を忘れられないのもまた、人間らしい。

 

久しぶりにけいのさん(仮名)と長いこと話した。

といっても、ぼくが喋るのを、うんうんと彼女がきいてくれただけだけれど。

愛についてうだうだと考え続けるぼくの話を、けいのさんはゆっくりときいてくれる。

 

人は多分、みな愛が大好きだ。

愛は愛おしいし、優しいし、穏やかだし、荒いし、大きいし、深いし、重いし、めんどくさいし、憎いし、つらいし、怖いし、不安だ。

愛は単純で、複雑。

 

考え続けても答えは出ないし、迷うのはいいかもしれないけれど、迷い続けていても仕方がない。

 

愛は決して、美しいものではないとぼくは思っている。

愛は深くて、重い。単純で複雑で、きっと、素晴らしいだけのものではない。

 

でもぼくらは、愛をやめられない。

心が震えるほどの、そのしんどさも、喜びも、嘘にはできない。

 

隠しきれない愛おしさに、泣きそうになる。

そのみにくさに嫌悪して、重さに飽き飽きして、期待してしまうじぶんをばからしく思って。

 

愛を考え続けても意味がないと言う人がいる。

愛が何であるかなんて考えて、どうしようというのだ、と。

たしかにその通りなのかもしれなかった。

 

愛は考えても仕方ないし、押し付けても仕方ない。

きっと、何もしないよりかはとってもすてきなことだけれど、言葉にするだけでは足りなくて、身体を動かして、実行することが必要なんだ。

 

愛を言葉にするのはやめてみよう。陳腐なものになってしまう気がする。

重い愛を、そのまま言葉にして押し付けてしまっても、意味はあまりない。

簡単に好きだとか、言うのをやめてみる。

 

大事な人には大事に使お。

言葉よりも先にやらなければいけないことがあるはずだから。