優秀さとはなんなのかの話

 

ぼくは優秀である。

 

 

優秀さとは、なんなのか。

優秀と有能は、ぼくの中ではほぼ同じ意味なのだけれど、優秀をグーグルで検索すると、

「他より一段と目立って優れていること」

とでる。

 

ぼくの大好きな言葉、イキるを検索すると、

「調子にのっていること」

とでる。

 

ぼくは「優秀」と「イキる」をイコールで結ぶ。

 

優秀さとは、可能か可能でないかという話ではないと、ぼくは思う。

たとえば、歴代総理大臣の名前をぜんぶ言える、とか、100メートルを5秒で走れる、とか、3ヶ国語をしゃべることができる、とか。

たしかにすごいけれど、優秀であることの証明ではない。

 

これはぼくの定義になるので、異論反論は喜ばしいことだけれど、

優秀さとは、何ができて、何ができないのかを把握していることだと思う。

じぶんのできる領域、人に頼まなければいけない領域、その判断と、他者の動ける範囲の把握。

じぶんには何が足りないのか、課題を理解している人こそが、一番優秀なのだとぼくは思っている。

 

誰かは忘れたけれど、じぶん天才だな、と思うときと、じぶん本当にダメだな、って思うときが交互にくる、と言っていた。

それって結局、じぶんができることに対して「天才だ」と思い、同時にできないところも明白に自身でわかるからこそ、「ダメだ」と思うのだろう。

 

今一度言うけれど、ぼくはじぶんのことを、優秀だと思っている。

ぼくにはできないことがいっぱいある。

アルバイトをしていても、インターンをしていても、友達といたって、毎回毎回、課題が見えて、じぶんにはこれができてないなあと考えてばかりだ。

ほかの人のやっているところを見て、すごいなあ、もっと真似しよう、と思う部分もいっぱいある。

 

でもだからといって、じぶんが無能だなあとか、優秀じゃないなあという風に思ったことはない。

むしろ、これができないのだと、じぶんの課題をしっかり理解しているぼくは、とても優秀だ。

 

 

だからこそ、じぶんに自信がない人のことを、誰目線なのかはわからないけれど、

「もったいないなあ〜」

と思う。

 

できないことは恥ずかしいことではない。

自信がない人って、自信しかない人よりよっぽどすごいのだと、ぼくは思う。

じぶんに何ができないのかを理解しているから。

だから、じぶんは優秀なんだって、気づいてほしい。

気づいた上で、できないからがんばろう、ではなく、優秀なんだからこれくらいやろう、という気持ちでいたら、とてもすてきだとぼくは思う。

 

ぼくはイキっている人が好きだ。

そこには、自負があるから。

じぶんは優秀なのだというプライドが、その人をイキらせている。

 

自信しかない人、ただただイキっている人は、すごいとは思わないけれど、個人的にはとても好き。

イキった人に、格の違いを見せて、

「お前はこれができないんだぞ」

と知らしめて、叩きつぶすのもとても楽しい。

 

ぼくはイキりすぎていて、いつも叩きつぶされている。

それもまた、とても楽しいのである。