そこに物語はあるか
今はどうなのかはわからないけれど、ぼくが高校生のころは、ボーカロイドはとても流行っていた。
機械音がいい、とか、人間では出すのが難しい高音が出るからいい、とか。
人気になって、流行った理由っていうのはいくつかあるのだろうけれど、音楽の知識に乏しいぼくが思うに、当時のボーカロイドの曲には、物語があった。
初音ミクなどの共通したキャラクターが、同じ文脈のもと、たくさんの人によって、たくさんの物語がつづられていく。
それは交差したり、まったくまじわらなかったりするのだけれど、イラストのついたミュージックビデオには、同じキャラクターが現れて、世界観が大きく異なるものではないことを示していた。
ミュージックビデオが感じさせる物語というのも、歌詞以上にボーカロイドの特徴になったように思う。
歌う人が生身の人間ではないことから、非現実的な感じであったり、フィクションっぽさだったりというのが出しやすいのではないだろうか。
だから物語が生まれる。
そんな物語に、心動かされていたのをふと思い出した。
いつだって、欲しているのは物語だ。
ブログを書いていても、どんな語りよりも物語が、面白いと言ってもらえている。
本当にそんなことあったの? どうせウソじゃないの、ってきかれることもあるけれど、それはぜひ、ご想像にお任せします。
事実かどうかは、ぼくにすらもうわからなかった。
映像として記憶は残っている。思い出すたびに、それが本当のことにしか思えないのだけれど、確かな現実味を持って再生されるのだけれど、ぼくは信じていなかった。
記録と記憶は違う。
記憶は事実でもなんでもなくて、紛れもない、じぶん自身の手によってつくりだされた物語(フィクション)。
起こったことをぼくらは楽しんでいるのではなく、その出来事が物語になってようやく、面白がることができるのだと思う。
だれかが伝えてくれて初めて、物語は生まれる。
物語ること。
きっとやめてはいけない、この豊かな行為を。
最近ぬるぬると、だらだらと、締まりのないことをしていたなあ。
どうなるかはわからない。
結局、何も変わらないかもしれない。
がんばりたいなあと思い続けて、がんばれないでいることばかり。
そこに物語はあるか。
答えはYESなんだと思う。
ぼくの心の中に、物語がある。
一日一日を、決して捨ててしまわないように。
無駄でもいいし、ダサくてもいいし、忘れたいほどイタくてもいい。
ただ、捨てない。
おととい迷ったことも、昨日悲しんだことも、今日笑ったことも。
捨てないで、どっかにとっておいて、ふとしたきっかけで、もう一度思い出せるような。
そんな人生にしていきたいなあ。