好きと風邪は、どちらも感染る話

 

好きって、ずいぶんと重い病気だ。

 

例えばどうでもいい酔っ払っている人が、車の行き交う二車線道路の間に立って、ぴゅんぴゅん走っている赤いミニクーパーめがけて、急にお花を摘みはじめても、あー、そんな人もいるんだなあ、気持ち悪いなあ、くらいで終わる。たぶん一生目を合わせることはない。

めっちゃ好きな人が道の真ん中で同じことをしたら、たぶん、泣く。一生目を合わせたくないと思うか、禁酒外来にただちに連れて行くだろう。

 

好きって、期待することだ。相手にも相応の行動や言動を予想して、期待通りにいかなければ、失望や落胆、怒りを感じてしまう。

好きって、一方的なモノではない。ある程度の、相互性がある。

だから、ムカつくことがあるのだと思う。

 

それって、本当は好きじゃないんだよ。じぶんのことが好きなだけ。

真にその人のことが好きであれば、怒りの感情がわくことはない。

あなたが未熟なのだ。

 

そんなバカなことはない、とぼくは思う。

好きは風邪と一緒だ。

平熱ではなく、身体に熱があって39度になるように、心に熱がある、異常な状態を好きと呼ぶのだと思う。

しかも急に温度があがったかと思うと、すっと、寝て起きたらさめることもある。

 

好きと風邪は、どちらも感染(うつ)る。

 

熱があがってしんどくなることはあっても、熱がさがりすぎて、嫌いすぎてしんどいことって、あまりない気がする。

 

熱があがると、お、熱があるぞ、とわかる。改めて体温計ではかっても、やっぱり熱があって、今じぶんは風邪なんだと認識する。

好き度が高くなるときって、低かったときと比べるから、そうか、好きなんだなあとわかって、今のじぶんの状態を、風邪をひいたときみたいに正しく認識できる。

けれど、ずぅっとその「好き」の状態が続くと、それが平熱に感じられて、37度8分くらいあって、熱はあるはずなんだけど、39度のときと比べたら微熱だ、と思ってしまう。

しかも同じ熱を保っているから、体温計ではかろうとも思わなくなって、本当は熱があって、好きなはずなのに、あれ、熱あるのかな? 好きじゃないのかなって思ってきてしまう。

でも本当は、好きなはずなのだ。

 

熱にうかされるような熱ではなくなったとき、不安になることがあるけれど、大事なのは、お互いの平熱を合わせることなのだと思う。

それが39度でも、35度でも、だいたい一緒の熱であること。

これは、お風呂に入ったときによくわかる。

お風呂って、人によって適温が違くて、35度の人と39度の人は、一緒に入ることができない。どっちかが我慢しなければいけなくなって、リラックスできないから、いずれ一緒に入るのをやめてしまう。

だから、35度でも39度でも、熱の状態、好きの状態はどちらでもいいのだけれど、互いがだいたい一緒くらいで、ともにお風呂に入ったときに、あー、気持ちいなあとリラックスできる状態がよいのだと思う。

 

好きと風邪は、どちらも感染る。

その二つには、共通点がいっぱいだ。

ただ、明らかに一つ、違うところを挙げるとするのならば、

好きはうつってほしくて、風邪はうつってほしくない。

それだけなんだと思う。