えっちという言葉はとてもえっちな話
ひらがなが好きだ。
その丸さに、優しさを感じてしまう。
可愛いよりもかわいいがいいし、
素敵よりもすてきがいい。
レモンよりもれもんがいいし、
エッチよりもえっちがいいに決まってる。
「えっち」って、「すてき」に勝るとも劣らない、意味の広い、よい言葉なのだと思う。
ただ、「すてき」と違うところは、使い方にコツがいるとこ。
年下の人が年上に対して使うとき、瞬発力が生まれるように感じるのだけれど、同時に「えっち」の持つ背徳感から、使い方を誤ると盛大にコケることがある。
目上の人に本来使うべき、かたい言葉を崩して、「えっちですね」とか真顔で言って、ツッコミを待つのに、気まずい顔をされたら目も当てられない。
また、年下の女の子には気をつけなければならない。
後輩の前で、「えっちだわ〜」とか言ったその瞬間に、警察沙汰にならないとも限らない。
まさか下ネタを言わないであろうと思っていた目上の人が、急に言ってきたことがあって、ぼくは自身の耳がおかしいのだと疑って3回ほど「え?」と聞き返すという暴挙にでてしまったことがあった。
そのときの気まずさったらなくて、あぁ、「えっち」と言うためには、普段の言動も改めなければいけないのだろうなあと思った。
下ネタをこいつには言ってもいいだろう、みたいな謎のルールを発動して、女性の前で下品な話をする男性がたまにいるのだけれど、そういった行為があまり好きではない。
ぼくは下ネタが好きなので、みんなが不愉快でないのなら、話すのはよいと思う。
ただ、苦手な人もいて、そういった人にきちんと配慮のできるような人間でありたいなあと、願い続けている。
その点、えっちは下ネタではなく、芸術なので、問題ない。
誰かに対して、その人のことをH(えっち)であると言及するとき、それはカタカナで、
「お前、エッチだな」
となる。
これは下ネタである。というか、セクハラである。そして、不愉快になることが多い。
えっちは、もっと深い。一言では語りつくせないとき、「わびさび」を感じるときに、言う。ぼくは言う。
なんの変哲もない、カラーコーンをみて、
「このカラーコーン、えっちだね」
と言うとする。
これが、芸術である。(余韻のあるモノを、芸術とぼくは呼んでいる)
えっち、という言葉の感性が合う人はもう、友だちになれる。
だから、エッチではなく「えっち」という言葉を使ってくる後輩がいたら、仲良くなりたいのだなと暖かく見守ってほしい。
そして、えっちという言葉を使ってくる先輩がいたら、生暖かい目で通報してあげたほうがいい。
それがきっと、世のため人のためなのである。