誠実でいるのは楽という話

互いの意見がぶつかり合ったとき、一見関係ないようなことを指摘されて、黙ってしまうことがある。

仕事でいくらがんばっていても、プライベートではだらしない、とか。酒癖が悪い、女癖が悪い、とか。

 

そうすると、いくら仕事で成果をあげていたとしても、その意味は弱くなってしまう。

「ぼくは、人々が幸せに生きることのできるような世の中にするため、こんなことをしているんだ」

「でもあなた、浮気しましたよね?」

みたいに。

 

そこに人間味がある、とか、完璧な人なんていないとか。

たしかにそうかもしれない。

誰だって失敗するし、間違えるし、うまくいかないことがある。

 

浮気をしたのだから、あなたのしている仕事は説得力がないという指摘は、論理的にはあまり正しくない気もする。

ただ、心ではやっぱり、「でもこいつ、不誠実だよね」とか思ってしまって、いくら努力していようが、いくら結果をだしていようが、こと言い争いになると、分が悪い。

 

言い負かしたいわけでもなく、じぶんの意見を通しきりたいわけでもないけれど、だれかに見せられないじぶんがある、不誠実さを持っていることって、じぶんの主張や考えを、きちんと説得力をつけて伝える際に、じゃまになるのだと思った。

 

だから悪口がいやなのだ。陰口が好きではない。本人に直接言えないのであれば、ぐちぐちと、だらだらと、言っていてもしかたがないし、陰口は不誠実なのだとぼくは思う。

 

ただ、では思っていることを本人にそのまま伝えればいいのかというと、それも違くて、伝える努力を怠った投げやりな言葉もまた、不誠実なのだと思う。

言いたいことを言う、って、一見強くて、正直で、よいことのようにも思えるけれど、誠実でいることって、相手のことを考えることでもある。言われた人がどう思うか、その伝え方で傷つかないか、とかを考えなければいけないから、言えばいいわけではないのだ。

そこには想像力が必要で、じぶん以外のだれかの考えや心を、思い続けなければいけなくて、そういった想像力のない人たちが、ネット上で炎上と呼ばれる形で吊し上げられる。

 

誠実とは、真心があることとか、相手のことを考えること。

心を真っすぐにする、じぶんの生き方がぶれないようにするって、難しいかもしれない。

別にいいかあ、とか、思ってしまって、簡単な方へと流れたくなる。

 

けれど、誠実でい続けると、だれかに突っ込まれなくなる。

行動や言葉に納得感を持たせることができて、お互いの着地点であったり、答えに近いよりよいものにたどり着けたりするようになる。

 

お互いの主張が一度違(たが)えると、最終的に、なんだこいつ、とか、わかりあえない、とか、こいつはもう無理、とかなることがよくある。

それって、すごく悲しい。

着地するのを諦めて、あっちにこっちにふーらふら。

その人とずっと付き合っていく必要もないし、別にいいのかもしれない。

 

ただ、ぼくは悲しいと感じる。

だれかを切り捨てる必要も、吊るし上げる必要も、何もないのだと思う。

みんながみんなに対して、誠実であるような、そんな優しい世の中になってくれたらなあと。

そのためにぼくにできることを、探し続けている。