怒りしかわかない話
こんなものを毎日つらつらと書いているくらいだから、ぼくはじぶんが正しいと思う考えを持っていて、その主張を常に声高に叫びたいと思っている。
だから、じぶんの主義主張から大いにズレるような人や行動をみると、ムカついてきて、何でなのかがわからなくて、暴れだしたくなる。
だいぶ、エゴイスティックである。
エゴとエゴをぶつけるのが好きで、たとえばあおた(仮名)やひゅうま(仮名)とは、そのようにして一晩中、口角泡を飛ばして、言い争いをすることがあった。
ただ、多くの人が、そんな言い争いは望んでいない。
ひゅうまとの激論を偶然端できいた人は、「酒がまずくなるし悪酔いしそうな会話」と評していて、そう思う人の方が多いに違いないと思った。
互いに望んだ上で、ばーばーと言い合えばいいのだろうけれど、相手のことを考える想像力が足りなくて、配慮に欠いてしまって、多くの人が望んでいないはずのことを、やらないという選択をとれずにいる。
最近、ずっとムカついている。怒りがどんどんわいてきて、声が大きくなっていく。
ださいなあ、と思う。
ムカつくことにムカつく。
文句ばかり言って、人に求めてばっかりで。
人の気持ちを考えるとか、言われた方がどう思うのかを想像しようとすらしていなくて、なぜその人がそんなことを言うのかを考えることもしないで、誠実でいないが為に、今とても苦しい。
だれの言葉も行動も、そこには意味がある。発せられただけの、理由があるはずだ。
ムカついてもいい。
けれど怒りにまかせて、大きい声をあげて、じぶんの正しさを振りかざすのは、正しくないのだろう。
もっともっと、想像力をつけなければいけない。
「どんな時でも余裕を持って優雅たれ」
ぼくの好きな言葉だ。
たぶん、今は一番遠い場所にある言葉。
余裕を持つためには、だれよりも努力をしなければいけない。だれよりも考えなければいけない。だれよりも行動しなければいけない。
怒りの表出や、否定は、余裕のなさが生むものだ。
ただ、何も考えず、相手の意見を鵜呑みにして受け入れるのもまた、面白くない。
「面白きことは良きことなり!」
人生は、面白くなければならないと、ぼくは思う。
面白さには、じしんへの誇りと他者への尊敬が、同等になければならない。
だれかがぼくに、言ってくれるうちは、ぼくはすくわれる。
言ってくれるうちに、きちんとその言葉を受けとめて、考えぬいて、ぼくなりの結論をださなければ。
怒りしかわかない。
その怒りに、ムカついてしかたがない。