クリスマスなんて祝うなという話

クリスマスなんて、くだらない、と言う人がいる。

物を売るために生み出された、しょうもないキャンペーンだと、言う人がいる。

 

たしかに、なんでクリスマスに、恋人と過ごしたり、プレゼントをあげたりするのだろうとぼくは思っていた。

クリスマス(英: Christmas)は「キリストのミサ」という意味で、一部の教派が行うイエス・キリストの降誕祭。 あくまで誕生を祝う日であって、イエス・キリストの誕生日ではない。

出典:ウィキペディア

 

アメリカとかでは、七面鳥を焼いて、家族みんなで、暖炉を囲みながらゆっくりするイメージ。

ぼくの家でも毎年、2メートル以上あるツリーを飾り付けて、七面鳥を焼いて、シャンメリー(子どものシャンパンみたいなやつ)をあけて、家族でゆっくりと過ごしていた。

 

ただ、いつからか、祝わなくなった。クリスマスは恋人と過ごす時間として、兄も、姉も、家に帰ってこなくなった。

 

クリスマスの本当の意味も知らないで、聖夜だと浮かれて、いつもよりぼったくってくるレストランでご飯を食べて、人混みとイルミネーションをみて。

 

それをバカにする人がいる。しょうもない、と言って、ふてくされている人がいる。

 

ぼくはクリスマスが好きだ。

じぶんでイベントを考えてやるのも好きだけれど、せっかくなら季節のものや、年に一回しかない特別な日に便乗して、楽しんでしまえたなら、それは楽だし、面白いなあと思う。

クリスマスツリーってきらきらしてて、特別感があって、きれいだなあって思って、プレゼントを渡し合うのも、なんだかとてもすてきだ。

 

ただ、クリスマスに孤独感に襲われたり、卑屈になったりするのって、なんだかもったいないなあと思う。

人と比べたり、恋人に要求したりする必要はないのではないかなあと思う。パートナーと話して、お互いが祝いたいと思えば祝えばいいし、祝わなくてもいいのなら、無理して祝う必要もない。

 

別に恋人と過ごさなければいけないわけではない。

プレゼントを渡さなければいけないわけでもない。

特別な日だから祝うのではなく、祝うから、特別な日になるのだ。

 

だから、クリスマスの意味なんて知らなくても、聖夜だと浮かれても、ちょっと高いレストラン行っても、きらきら光るイルミネーションを見てもいいじゃない。

その全部をしないで、家でゆっくりするのもまた、いいじゃない。

 

プレゼント選びが面倒とか、クリスマスなんてくだらないとか言う人は、クリスマスなんて祝うな。

ぼくらにとって、クリスマスが特別なのではなくて、特別が偶然、クリスマスだっただけなのだから。

 

ミサとは、集まりみたいなものだと、勝手に思っている。

クリスマスが、「キリストのミサ」という意味なのであれば、ぼくは祝わざるをえない。

別にどんな祝い方があってもいいのだと、そう思わせてくれるのもまた、クリスマスなのかもしれない。

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出典:https://www.kirin.co.jp/company/news/2019/0221_01.html