すきのあいだに手をいれる話
すてきって、すごくよい言葉だ。
否定するわけでもなく、強く肯定するわけでもなく、ありのままを受けいれてくれるような、そんな言葉だとぼくは思っている。
ぼくは、すきという言葉もとっても好きなのだけれど、なんでかというと、とくに理由はなくて、ただただ、好きだなあと思う。
この世の中に好きがあふれれば、とてもすてきだなあとか考えていて、じぶんの好きを一つでも多く増やすことができたら、それはとても幸せだ。
ただ、言葉には回数制限があって、むやみやたらと使っていいのかというと、そうではない。
しかも、好きって、すごく特別であると同時に、エゴの強い言葉で、「好き」を言葉質(ことばじち)に、何かを強制させようとする力が働くことがある。
だから本来、好きは大事にとっておかなければならない。
どうすればいいのかなあ、でも好きだしなあとか思っていた。
そんなとき、すてきという言葉を見つけた。
すてきは逃げ言葉だ、と言ったのはやまは(仮名)だったっけ。
相手のことを否定したくないときに使う言葉だ、と。
ぼくがすてき、とか言うと、周りの人は、こいつ適当だなあって思ってるような顔をすることがよくある。
好き、の代わりにすてき、を使いすぎて、また言葉の純度が低くなっている。
ただ、すてきが逃げ言葉だとはぼくは思わない。
すてき、とは、緩やかに、穏やかに、そのままのじぶんというものを受け入れてくれる言葉だ。
その人のことや考えを否定したくない、一つのものとして受容(アクセプト)したい、という優しい想いが、形になった言葉なのだと、そう思っている。
だから、すてきだという言葉を使う人は、とてもすてきだなあと思う。
ただ、ぼくに限って言えば、すてきはごりごりに強い言葉として使っている。
ぼくがすてきだと言っているときは、ほぼ間違いなくめちゃめちゃ好きだと思っていいだろう。
好きー! って言ったら、ひかれちゃうから。
どうしようって思って。
すきのあいだに手をいれてみた。
そしたらすてきが見つかって、すごくすごく好きな言葉だなあと思った。
ぼくの周りには、すてきな人ばかりで。
今日もにやにやしながら、どこかにいる誰かに会いにいく。
ひざかっくんされて
たけぴ何飲む? ってきかれて
今日もぼくは
「まあなあ〜」
とか言って、すてきを見つけている。
そんな日々が、とても好きで、たまらないのだと、ぼくは思う。