隣の芝生は青いに決まってる話

人のモノって、どうしてもよく見えてしまう。

 

隣の芝生は青い

意味:他人のものは自分のものよりも良く見える、ということの例え。(実用日本語表現辞典より)

 

たいらさん(仮名)に、もか(仮名)は武内さんといるときすごく楽しそうにしている。と言われた。

まるでたいらさんと一緒のときはもかちーが楽しそうにしていないかのような物言いだったけれど、ぼくが見る限り、この二人だってずいぶんと楽しそうに話してるし、実際、仲がいい。

 

どうしてたいらさんがそう思うのかを考えてみてもわからなかったのだけれど、最近気づいたことがある。

 

ぼくのとっても大好きだった人が、別の人と話していて笑っているのを見て、じぶんと一緒にいるときよりも幸せそうな顔してるなあ、と思うことがあった。

笑っている人と、目の合わない感じ。

それだけで、なんだか置いてけぼりにされたような気分になる。

いいなあ、と純粋に嫉妬をして、なんだか不思議な気持ち。

 

ふと、気づく。

あ、この人のこと、すごくすごく好きなんだなあ、って。

 

純粋に嫉妬。ちょっと変な日本語な気がする。

才能に嫉妬、のときに使われるのと同じような、しっと。

(焼きもちをやく、という言葉がとても好きで、しっとをして、すねて白いお餅を焼いてる人を、つい想像してしまう)

 

だからたぶん、イヤな気持ちではない。

 

楽しそうに二人が話してるなあと思って、ぼくと一緒のときはそんな表情しないのになあとか思うのだけれど、たぶん、そんな変わらないんだと思う。


わからない。もしかしたらその人にだけ見せている表情なのかもしれないし、二人は特別な関係なのかもしれない。

ただ、そうじゃない気もする。

 

たいらさんがほかの人と話をしていて、すごく楽しそうで、なんだかちょっと、しっと。

あ、たいらさんも、こんな気持ちだったのかなあって思って、少しだけ納得。

 

思った以上に、じぶんに向けられているものって、豊かで、とてもよいもののはずだ。

それに気づかないだけ。

だから、じぶんに向けられた言葉、向けられた表情を、もっともっと噛みしめて、ありがたく思わなくちゃなあと思った。

 

隣の芝生は青い。

主観が入りすぎて視野が狭くなるじぶん自身よりも、一歩離れたところで見るほかの人たちの方が、どうしたってよく見えることがある。

ただ、じぶんも案外悪くないなあって思って、少しだけ肯定してあげて、好きな人への好きをもっと深められたらなあと。

 

そう思う、冬の朝でした。