好きと合うは違う話

合うってそもそも、なんなんだ。

一緒だなあとか、一緒にいられるなあとか、共感できること。それが「合う」なんだと思う。

 

対して好きは、すてきだなあ、いいなあと思うこと。

好きだなあと思うことって、結構あって、考えや行動、(例をあげると、やまはのはしゃぐところ)や、笑い方とかをみて、いいなあ、好きだなあととても感じる。

個人的に好きなポイントは必ず一人に一つはあって、それが多い人ほど、もっともっと会いたいなあと思ってしまう。

 

この人の、感情をすごく伝えてくれるところ、見せてくれるところ、とても好きだなあとか思うし、心から幸せになってほしいなあと思うのだけれど、結局、それだけではずっと一緒にいることはできないのだろうなと最近思った。

 

好きだって、じぶんとはとても違うからそう思ってしまうこともある。じぶんにはないものに惹かれて、羨んで、憧れる。

けれどそれって、合うとはほど遠い。そこを好きになればなるほど、強く、合わないなあと感じてしまう。

 

今まで合うなあと感じる人が、空気感合うなあ、くらいしかなくて、とても居心地はよかったけれど、恋人として続くことはなかった。

 

好きだなあを増やしていくのはすてきなことだけれど、結局合うなあを見つけられなければ、パートナーとしては意味がないのだろう。

じぶんがひどいと思うポイントを、ひどいと感じてくれず、合わないなあと思ってしまったら、もうどうしようもない気がした。

じぶんもまた、彼女のひどいを理解できず、合わないなあと感じてしまっている。

そうしたらもう、付き合うことはできない。

 

ぼくは誰とも「合う」ことができないから、もう誰とも付き合えないのかなあとか考えていた。

ただ、やまは(仮名)が、

「今合う人が見つからないからって、諦めてしまったらもったない。いろんな人の考えがあるのだから」

と言ってくれた。

 

なんだかまた、ひざかっくんをされた気分だった。

もしかしたら特別な言葉ではないのかもしれないし、価値観がひっくり返るような名言でもなかったのかもしれない。

けれど、ぼくの中で、やまはが、今この瞬間に言ってくれたことに、とても価値を感じた。

すごく、すくわれた気がした。