本の紹介文:夏の庭

高校のころに書いた本の紹介文の数は、40にのぼる。

「夏の庭」

は小学生の読書感想文の推薦図書で、ぼくは結構昔に読んだことがあった。

高校に入るころには忘れていたのだけれど、いざ本の紹介文を書こうとなったとき、ふと思い出して、読み返してみたのだった。

改めて読んで、とても面白かったと思う。

昔はたぶん、主人公の小学生に感情移入していたのだけれど、今はもっと、おじいちゃんに心が奪われるようになった。

児童文学というか、子ども向けのものって、ぼくはとても好きで、そこには混じりけのない素の感情があるからなのだと思う。荒っぽくて、純粋で、見るからにちぐはぐな心というものが、汚いものを多くみてきてしまった今になって、沁みてくる。

 

 

 

おまえら、死をみたことあるか?


「そこを発見するんだよ」

「え」

「おじいさんがひとりで死ぬ。そこを」

小学生の考えることは、時に恐ろしいと感じることがあります。

 

 

木山、山下、河辺の三人は小学六年生。山下の親戚が亡くなり、木山、河辺も死を身近に感じました。そこで河辺が提案したのは一人暮らしのおじいさんの死を見る、というものでした。

それは夏休み。

きっと小学生だからこその、考えだったのでしょう。死んだように動かないおじいさん。腐った臭いのする玄関。明日にでも死ぬに違いないと不謹慎なことを考えていた三人は毎日、塀の外からおじいさんの観察を続けます。

彼らにとって死は未知であり、神秘でした。だからこそ、死が見たかったのでしょう。

 

観察をされていることに気づきました。

 

おじいさんは塀から覗く彼らに水をかけたり、直接文句を言うようになります。口論になった彼らは、ついにおじいさんに自分たちの目的を話します。頭に血が上っての、とっさに出た言葉でした。

そこからおじいさんの生活が変わります。三日に一回、コンビニに行くために外に出るくらいだったのに、毎日外出。八百屋さんにいったり魚屋さんにいったり。きちんと食事を作り、規則正しい生活をするようになりました。

何がおじいさんを変えたのか、私にはわかる気がしました。そこから始まったのが、おじいさんと三人の奇妙な交流です。何故かおじいさんの家事を手伝うようになった彼らは、文句を言いながらも続けます。雑草の生い茂る庭をきれいにし、壁にペンキを塗る。次第に見違えるようになる庭に、ついには種を蒔きます。

 

おじいさんと三人の交流は、決して優しくほっこりするものではありません。おじいさんはいやみっぽいことを言いますし、子供たちも身勝手なものです。でも、どこか気持ちいい。互いが互いに与えたものは、きっと言葉では語り尽くせないでしょう。相互にいい影響を与えたその夏は、ビー玉のようにきらきらしたものに違いありません。