大人数でのディズニーは複雑という話
6人で、ぼくはディズニーシーに行く。
一番古い、友だちとのディズニーの思い出はたぶん、小学生のころのものだ。
といっても、兄や姉を含めた、親戚みたいな集まりで、子どもたちだけで行ったものだった。
一部の男の子にありがちな、ディズニーなんて女、子どもが楽しむところ、漢は黙って公園鬼ごっこ、みたいな考えを、当時のぼくもちょうど持っていて、だから、ずっと早く帰りたいなあと思っていた。
帰ろうよ、とか言っていたら、姉にとても怒られたのを覚えている。
その場を楽しもうと努力しない人が、姉には許せなかったのだろう。
高校のころは一度もディズニーに行かなかった。
大学2年生の夏、えな(仮名)となおや(仮名)とディズニーに行くことになった。
ぼくはそのころ、えながなおやのことを好きだと勝手に思っていた。
なおやもえなのこともぼくは大好きだったので、なんとかしようと、ぼくはエゴを押しつけた。
結果はとてもとても失敗して、ぼくはえなに、
「余計なことをするな」
とすごく怒られた。
どうしようもなく、意味のないことをしてしまった。
もしかしたらぼくは、二人に嫉妬をしていたのかもしれない。
応援する、とか言って、でも本当はたまらなくイヤで、二人の関係が壊れてしまえばいいと、どこかで思っていたのかもしれない。
じぶんが何をしたかったのかは、今になってもわからないでいる。
ただ、ぼくはすごく反省して、その場を楽しもうと努力しなかったことが情けなくて、彼女らとのリベンジディズニーを企画した。
実際、ディズニーは、ぼくが余計な気を回したところ以外は、とてもとても楽しかった。
ぼくらは、その夏、再びディズニーに行くこととなる。
その日はとくに、めちゃめちゃ楽しくて、乗り物なんて一つしか乗らなかったけれど、すごくすごく幸せを感じた。
ぼくは同じ失敗を、何度かする。
一対一という関係でなくなった時点で、その会の複雑さは増していって、飲み会ですら、とても難しい。
みんなが幸せになるための、きっと一つだけではない答えを探すのは、難しくて、たまらない。
なおやに、
「お前はじぶんで人を集めて、コミュニティを作って、じぶんでそれを壊すよな」
と言われて、
「何そのマッチポンプ」
とぼくは言った。
(マッチポンプ、自らマッチで火をつけておいて、それを自らポンプで水を掛けて消すと言う意味で偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。Wikipediaより)
ディズニーは、難しさの頂点にあると、そう思っている。
夢の国という空間は、良くも悪くも楽しさを押しつける。
みんなで歩いて、並んで、しゃべって、騒ぐ。
人数が増えれば増えるほど複雑さは増していって、6人でなんて行ったことがないから、不安になるくらい、きっと難しい。
けど、ぼくは楽しみでたまらない。
めちゃくちゃ楽しみで、夜眠れるのかもわからない。
大好きな人ばかりと、6人でディズニー。楽しくないわけがない。
気を遣う必要はない。
ぼくはその場を、全力で楽しむ。
ただそれだけでいいと、思わせてくれる人たちだ。