甥が銭ゲバという話
4つ上の兄が結婚して岡山にいるのだけれど、かわいすぎるおいっ子を見に、ぼくは母親と岡山旅行に来ていた。去年の7月に生まれたから、子どもは1歳4ヶ月で、髪の毛が生えて、顔もしゅっとして、ようやく人間の形になってきている。
まだ「あー」とか「うー」とかしゃべれないので、人間とは呼べない。
こんな可愛い生き物を、ぼくは未だかつて見たことがない。兄にもお嫁さんにも似ていて、とても整った顔をしている。
意外かもしれないが、甥はぼくとも似ている要素がある。ほら、目が二つあって髪の毛が生えているところなんて、ぼくとそっくりだ。もはや同じである。
甥がきゃっきゃと笑うと、彼を囲んだぼくらも、熱々のパンの上にのせたバターみたいにとろけて、にやにやしてしまって、世界平和のための最終兵器がここにあったのだと、気づかざるをえない。
彼の可愛さを全世界に知ってほしいから写真を100枚くらいのせたいけれど、知っている人の本名もブログにのせないくらいネットリテラシーの高いぼくに、そんなことはできない。
でも安心するとよい。ぼくの甥は、簡単に見ることができる。
まず、頭にこの世界で一番可愛いもの、癒されるものを思い浮かべてほしい。
それだ。
それがぼくの甥である。
見えたね? よかった。
銭ゲバという言葉の正式な意味を調べようと思って、ネット検索をしたら、漫画、ドラマの銭ゲバしか出てこなくて、ちげーよ、その漫画の語源を教えてくれと思った。
けれど、よくよく調べたら、銭ゲバという漫画から、世間が銭ゲバという言葉を使うようになったらしい。
「銭のためならなんでもするヅラ」という人を銭ゲバと呼んで、ゲバの意味はドイツ語のゲバルト(暴力行為の意)からきているらしかった。
ぼくは昔、ケチと呼ばれていて、今のぼくしか知らない人からすれば、きっと驚くだろうと思っている。
小学生だったぼくに、家族は「金の亡者」「ゴラム(ロードオブザリングの登場人?物)」と心無い言葉をかけてくることもあった。主に姉である。というか、姉である。
お金が好きだった小さいころのじぶんは、銭ゲバと呼ばれていてもおかしくないだろう。
今は、お金が一番大事なものだとは思わない。お金はあればあるだけいいとも、思わない。
たしかにぼくは豊かな環境で育てられ、本当に何不自由ない生活を親のおかげ、周りの人たちのおかげで送れている。
別にほしいものがすべて手に入る生活かと言われればそうではないけれど、事実、ぼくは豊かな生活をしている。
お金がとても大事なのはわかる。必要なものだ。
けれど、本当にお金はあればあるだけいいのだろうか?
お金があれば、病気で入院しなければいけないとき、災害で家がなくなったとき、必要なモノがあるとき。買えるかもしれない。困らないかもしれない。
でもそれって、人の信頼を裏切って、心を踏みにじってまで、手に入れなければいけないものなのだろうか?
嘘を吐いて、騙して、誰かを不幸にさせてまで、必要なものなのか?
違うだろ。
ぼくは、心から伝えたい。
ぼくの母の財布を器用にあける甥
お札をとって、ほくそ笑んでいる