毎日続けていることの話
毎日続けるのって、結構大変で、筋トレとか、ランニングとか、勉強とか、とにかく毎日やろうと思っていても、できないことばかりである。
その中でもこれだけは毎日やりたいというのが、ぼくの中では早起きだ。本当に寝起きがつらくて、パッと起きられることがないのだけれど、大学一年生のころはグリシン(アミノ酸の一種)という白い粉を毎晩寝る前に水と一緒に飲んで、なんとか早起きをしようとがんばっていた。
とにかく睡眠の質をあげること。
起きたときにしんどくてたまらないのが解消されてほしいと思って、しばらく続けていて、成果はあったのだけれど、なぜか今はやめてしまった。
今だって毎日早起きをしたいのだけれど、全然うまく起きられない。
お酒を飲んで結構酔っぱらってそのまま寝ると、いつも6時間とかで起きることが多くて、理想的だなと思うのだけれど、身体にとても悪そうなのであまり好きではない。
最近は寝るときにはお酒が抜けているようにするのが個人的に気に入っている。翌日に二日酔いとかの形で響くことがないから、とてもよいのだ。
酔いがさめるまで、起きているのである。そのせいでまた、早起きができないでいる。
このブログもすでに34日間続けており、毎日きちんと更新ができているので、じぶんでも驚いている。
時間がたくさんできたというのもあるけれど、漫画や映画、ドラマなどをみる時間が減って、その代わりに「何を書こうかなあ」と考えることが増えたので、これはよいのではないかと思った。1日予定をぎっしり入れてある日でも更新できるよう、ストックを作ったり、今までじぶんが書いた論文を載せたりとズルもしているけれど、じぶんはえらいなあとほめてあげたい。
継続は力なり、とはよくきく言葉だけれど、本当にその通りだ。日々のアウトプットの場を設けて、継続することは、じぶんの中で大きな財産になっていくのだろうと思っている。
内省をして、じぶん自身を省みて、行動や言葉にじぶんなりの責任を果たせているのかを、じっくりと考えること。心に寄り添って、優しい世界を作りたいという自身の願いが、ブレていないかを探ること。
シンプルに過ぎていた日々に、大きな価値があるのだということを、今は深く噛みしめられている。
宗教でも、毎日の祈りの儀式の意味は、そういうところにあるのかもしれない。
ただ、ぼくが毎日書いて投稿し続けられているのは、ぼくがすごいからではない。
周りの人が、読んでるよ、って言ってくれること。
今日も読んだよ、とか言ってくれて、あ、この人が読んでくれているのだから、明日もがんばって書こう、と思わせてくれる。
日常の会話でも、ブログのことをネタにしてくれたり、共感してくれたりすることが、とてもうれしい。
けいのさん(仮名)も、毎日毎日、飽きずにジーンズの写真を送ってくれて、とてもありがたい。
けいのさん、いつもありがとう。
ぼくは未だに、ジーンズを好きになれないでいるけれど。