男の自撮りはもっと謎という話

 

見られている、という意識がある。

実生活で会うような、近しくて好きな人たちにぼくの書いた文章を読んでもらっていて、しかも、

読んだよ

面白かったよ

とか言ってくれる。

 

だからぼくは、そう言ってくれた人たちの顔を思い浮かべながら、つい書いてしまう。

すごくうれしくて、ありがとう、って思う。

けど、そんな、顔を知っている人たちに読まれていると思うと、うれしい反面、ちょっと恥ずかしい。

しょうもないことなんて書けないな、と思うのだけれど、そう思って何も書けなくなるのはもっとしょうもないので、今回はしょうもない話をします。

 

自撮りという文化が、いつから定着したのかをぼくは知らない。

セルフィーの普及はスマートフォンが一般的になってからなのは言うまでもない気がするけれど、最初の方のカメラなんてインカメ(スマホの内側のカメラ)の画質は悪すぎて、使い物にならなかった。

よりきれいな写真がスマホで撮れるようになって、それにともなって、自撮り用のアプリがたくさん生まれた。

 

アプリなんてぼくはいれていないのだけれど、今の若い子たちにとっては加工アプリで写真を撮ることがふつうみたいで、

「なんでアプリいれてないんですか?」

とか、言ってくる。

驚くことに、ぼくがみんなで自撮りをしようとすると

「アプリじゃないとイヤ」

と言う人もいる。

 

おおしまちゃん(仮名)は、ぼくが一緒に撮ったふつうの写真をアプリで加工して送ってくれるのだけれど、おじさん的には違いがあまりわからないなあとか思ったりしている。

 

ぼくにとって自撮り用のアプリ(そもそもこの表現が適切なのかどうかもわからない)は、不自然だからイヤ、というものではなかった。

不自然さも自然さも感じなくて、だからどっちでもいい。

ただ、何よりも、ずっと自撮りをしている女子高生に不自然さというか、不思議さを感じずにはいられないでいる。

 

夕方に街を歩いていると、ふとした場所で、ベンチに座った二人組の女子高生が自撮りをしていることがあった。

ぼくは用事があったのですぐに通り過ぎた。30分後に同じところを通りかかると、彼女らはさっきとほとんど変わらないと思われるポーズで、まだ自撮りをしている。

 

女の子には、本を読んだり、音楽をきくような感覚で、自撮りをする人たちがいる。

暇だから、写真撮ろー、という感じで。

 

謎すぎる、と思った。何が楽しいのだろう、と思う。

 

ただ、そこでぼくは思い出す。高校を卒業してすぐに、男三人でぼくの家で遊んだときのことを。

ぼくらはゲームも飽きて、話をするのも飽きて、ごろごろしていた。誰が言い出したのかはおぼえていないけれど、ぼくらはふと、自撮りの集合写真を撮った。

結構ぼくは自撮りが好きなので、そんなノリだったのだと思う。

ただ、いつもなら一枚撮って終わるはずだった。

 

なおや(仮名)だっただろうか。

一回写真を確認すると、「もっかい撮ろう」と言って、再び写真を撮る。

もちろんぼくは自撮り用のアプリを持っていなかったので、アイフォンのそのままのやつだ。

そこからぼくらは三人で、いろんな表情やポーズをして、何枚も写真を撮った。

なぜだか楽しくなってきて、きっと、本当に30分くらい写真を撮り続けていたように思う。

 

女子高生がずぅっと、飽きずに自撮りをしているのをみて、ぼくは謎だなあと思った。

けれど考えてみれば、高校を卒業した男が三人で自撮りをし続けている方が、よっぽど謎だ。

何が楽しかったのかは、今となっては思い出せない。

 

そんな、どーでもいい話。