きもちわるいと思われたくない話

きもちわるいって、暴力的な言葉だ。小学校のころ男女混合のバスケで、女子から「きもい」と言われたらもうディフェンスはできなくて、ぽろぽろゴールを入れられた。

男同士できめーとかきもちわるいとか言う分には構わないのだけれども、女の子に言われるとなんだかとてもショックで、すごく落ち込む。

今はさすがにきもちわるいと言われたところで、冗談か本気の区別はつくので、発されたその言葉にただ恐怖することはなくなった。けれど、じぶんの行動とか、言動が、「きもちわるい」と思われていないかはいつも考えてしまう。

いくらださくてもいい。ただ、きもちわるくはありたくない。

 

きもちわるいの条件として、清潔ではない、独特、そして暗さがあると思う。なんか汚い人は誰だってイヤだし、独特な動きもこわい。ただ、暗さだけは難しいところだろう。明るくてきもちわるいことだってあるのだから、ここで言う暗さは陰湿さとか、ネガティブとでも表現するべきかもしれない。

 

とにかく、人は共感できないこと、知らないことにたいしてきもちわるさを感じる。

顔見知り程度のおっさんがべちょべちょに泣き腫らしてこっちに向かってきたらきもちわるっと思うけれど、それがじぶんの大好きなおっさんだったら、なにも言わずに優しく抱きしめるだろう。少なくとも、ぼくはそうする。

 

だからぼくは、自己開示をよくする。じぶんの悩みとか、思いとか、よく喋ってしまって、喋りすぎてしまうこともあるのだけれど、全部さらけだせば、きもちわるいよりもださいが勝ってくれるのではないかと思っている。

清潔感においてじぶんではどうしようもなく確認ができないのがにおいで、いつもすごく気にしているのだけれど、正直においって人に指摘しづらいから、結構しんどい。めちゃめちゃ仲良い友だちとかだったらお互い言えるのだけれど、友だちが「おれくさくない?」ってきいてきたことがあって、ぼく「実はちょっとにおう」って言ったらその友だちの顔がみるみるこわばって、ぼく「ごめん、うそ。全然大丈夫だよ」友だち「おい! まじでやめろってー、びびったわ〜」ぼく「っていうのもうそ」友だち「えっ」ぼく「じょーだん笑笑」友だち「よかったあ、お前と一緒だったらどうしようって思ったよ」ぼく「えっ」友だち「え?」みたいにお互いの言葉がまったく信じられなくなって、そっからぼくはファブリースを持ち歩くようになった。

 

ネガティブであることも、きもちわるいの一要素になってしまうかもと思って、ぼくはポジティブでいるようにしている。タイトルも「きもちわるいと思われたくない話」ではなく、「かっこいいと思われたい話」に変えるつもりだ。

ぼくはネガティブな話が好きではない。誰かのことが嫌いという話よりも、誰かのことが好きという話をしていたい。その人の嫌いなところはあるから、本人の前でも本人のいないところでも言い方に気をつけながら嫌いなところを言うのだけれど、結論、あなたのことは大好きです、に持っていけたら最高だなと思っている。

強い言葉を使わない方が、とても優しい。

そして「きもちわるい」はやっぱり、とても強い言葉だ。ぼくもたまに使ってしまうけれど、使い方には十分に気をつけて、用法用量を守りたいと思う。