やまはの感情は、じわるという話
やまは(仮名)と出会ったのは、大学1年生のときの、英語の授業の教室だったと思う。
明るくて元気なイメージがあって、すてきなはしゃぎ方をするのを見ているのがぼくは好きだった。
そんなに仲が良いというわけではなくて、大学ですれ違ったときにお互い挨拶だけをするような感じだったのだけれど、何かシンパシーを抱いていて、仲良くなりたいなあと思っていた。
やまはのギターケース。口癖は「すてき」と「」
やまはと同じ、英語の授業では秦さん(仮名)という人が先生だったのだけれど、ぼくはその人とは折り合いが悪くて、個人的にはハラスメントを受けていたと思っている。ぼくは帰国子女(自称)だから、英語を英語として理解していて、日本語にチューニングというか、変換して解析する(なんかCVOがどうだからどうたら、みたいなやつ)が苦手で、がんばってはみるものの出来ない。
ここがこう分からない、という話をしているのに、3分くらい(大人数がいる中で3分の沈黙は結構地獄)、これ以上僕は答えようがないのに回答を強要されたこともあった。
武内くん、答えてください、ってずっと言われる。みたいに。
秦先生からのハラスメントのせいでぼくはその授業に出るのも億劫だったのだけれど、周りの人からの印象は、
「ようすけは先生と戦っていてかっこいい」とか
「授業中一番発言してるよね」
みたいな意味のわからないもので、きっとぼくにもかなりの問題があるのかもしれないとも思って悩んだときもあった。
まあ、悩んだというのはウソだ。
そんなテンションの下がる授業が始まる前か、後か、覚えてはいないけれど、やまはがぼくにひざかっくんをしてきたことがあった。
そこにひざがあったからカックンをしてきただけなのかもしれないし、実際、やまはの中で深い意味があったわけではなかったのだろうけれど、なんだか彼女にすくわれた気がした。
緊張して、嫌な気持ちになって、しんどくて、でも誰もわかってはくれなくて。
けれどやまはは、まるで励ますみたいに、緊張すんなよって言うみたいに、がくんと力を抜かせてくれた。
お話をしたいなあと思った。
正直、3年前だし全然覚えていないのだけれど、
「やまは、ちょっと一緒にお話できないー?」
って言った気がする。
意味のわからない誘い方である。
でもやまはは快く受け入れてくれて、17号館の4階の、いすと机があるちょっとしたスペースで、ぼくらは1時間くらいお話をした。
ぼくらのいたスペースは、勉強してる人がいたりと、結構静かで、あまりぺちゃくちゃしゃべるような場所ではなかった。
ちょうどそのとき、やまはが風邪でほとんど声が出なくて、彼女はまるで秘密のように、ささやき声で話した。ぼくもそれにつられて、顔を近づけてこっそりと、言葉を渡す。
何か特別なことをしているみたいで、とてもどきどきしたのを覚えている。
そこからぼくらがすぐに仲良くなったのかといえば、そうではない。
その日以来、何かがあったのかといえば、そうでもない。
ぼくらはふつうに授業を受けて、すれ違えば挨拶をした。ただそれだけ。一緒にご飯を食べに行くことも、会話らしい会話をすることもなかった。
大学4年生の春。イギリス留学から帰ってきたやまはとぼくは、一つの授業で再会する。
ぼくの目の前に彼女は座って、授業を受けている。大人っぽくなっていて、すてきな服をいっぱい着るようになって、相変わらず人のことを見ている。
ある日、あおた(仮名)が突然、
「やまはさん知ってます?」
みたいな感じで言ってきて、
「え、知ってるよ! 逆になんで知ってるの?」
って返したら、
「最近一緒にギターの練習したんですよね」
とか言ってきた。ベースだったっけな、わからんけど。
そこから、一緒に飲もーってなって、初めてやまはとあおたと三人で飲んで、今に至る。
やまはは、人のことを考えすぎてじぶんを押し殺している節があるように、ぼくの目には映っている。彼女のはしゃぎ方はとても好きなのだけれど、誰かのために、はしゃいでいるようにも見える。人のことを想い過ぎて、しんどくなっていないかなと思って、えらいなあ、がんばってるなあ、すてきだなあ、ととても思う。
やまはの感情って、わあああって表れて、はしゃいでいるように見えるのだけれど、たぶん本当は、じわっているのだとぼくは勝手に思っている。
白い紙にインクがにじむみたいに、じわりと、徐々に拡がっていって、顔とか身体で表現した感情に、心がゆっくりと追いついていく感じ。
そんなときの、彼女の笑い方が、ぼくはとてもすてきだと思う。
やまはは頭がいい。よく考えられるから全体を見ることができて、不足しているものを補うことができて、我を忘れて楽しむことができないでいる。
きっとまだ、ぼくらに心を許しきれないのだろう。まだ半年も一緒にいないし、当たり前だ。
ただ、いつかやまはが、他人のためにはしゃぐのではなく、心から落ち着いて、ゆっくりと感情をじわらせてくれたらなあと思う。
ぼくは勝手に、シンパシーを感じている。
だからきっと、すくわれるのだと思う。