人生は不思議な出会いにあふれているはなし vol.1

今となってはきっかけなんて思い出せないが、高校生の時、ジャン=ミシェル・バスキアの絵を初めて観た。
その感情の爆発は衝撃的で、彼の制作背景を知っていくうちに、どんどん惹かれていった。
出会いから5年、彼の個展が日本で開催される。高まる心臓を抑えられず、胸に手を当ててひとり、六本木の駅を降りた。
六本木ヒルズにつながる美術館は思っていたより混みごみしていて、受付のお兄さんが大声で叫んでいる。


“チケットをお買い求めの方は3時間待ちです。”


その日はアルバイトがあり、どうしても3時間は待てなかった。
最終日だった。行き場を失った悲しみにひたり、喫煙所を探した。バイトまで何をしよう。
よくわからない名前の有名人が、お昼のテレビ番組の撮影をしている。


声が大きいなあ。


せっかく早起きしたのに、たばこをふかして晴れた日曜日の午前中をつぶすのはもったいない。
もうひとつ見たい展示があった。調べると、電車で15分もかからない。
決まり。


ラウル・デュフィはテキスタイルデザインで知られるが、色彩の魔術師と呼ばれる彼の本髄は、やはり絵画にあるのだと思う。
バスキア展と打って変わって、おじい様とおばあ様が多い。受付を抜けると、彼の絵画やテキスタイルが、年代順に壁に掛けられていた。

ひときわ目を引く、大きな絵。オーケストラを描いた、音が響いてくるようなあたたかい絵だった。
絵画のことは正直よくわかっていない。でも美術館での自分ルールはそれなりにあった。

まず、遠くから見て、全体を感じる。
近づいて、ひとつひとつのディテールに注目してみる。
そしてまた、遠くから、全体を見る。

だんだんと混雑してきた美術館で、後ろに下がろうと一歩引くと、誰かにぶつかった。


“あ、すみません。あの、すみません。すみません。”


3回目でようやく、この人は謝っているのではなく、わたしに呼び掛けているのだと気づいた。
振り返ると、わたしと同じか少し若いくらいのきれいな男の子が、真摯な目でこちらを見ていた。

急に話かけられて驚いたわたしは、訝しい顔で短く、はい、と返事をした。
彼は、何かとても言いづらいことを言う前の男の人の顔をしていた。
そして、すごく小さな声で話した。


“僕、絵を描いているんです。あなたの絵を描かせてもらえませんか。”


予想外の発言にハテナがいっぱいのわたしを見て、彼は早口に説明した。
彼は大学で絵を描いていて、わたしが美術館に入ってきたときに、直観でこの人を描きたいと思ったそうだ。話しかける機会をうかがっていたら、ちょうどわたしがぶつかってしまったらしい。
何時間でも待つから、写真を1枚だけ撮らせてほしいと、彼は言った。
普通なら検討もせずに断るのだが、美術館という空間と彼のきれいな目が、わたしをうなづかせた。


1時間ほどかけてデュフィの作品を見終わり外に出ると、ベンチに座っていた彼が顔をあげた。
急にすみません、と短く謝り、じゃあ、と正面から、本当に1枚だけ写真を撮った。


“あの、ありがとうございました。”


宣言通り写真を1枚だけ撮って、わたしたちは美術館を後にした。

駅までの帰り道、彼は自分のことをたくさん話してくれた。
神戸の大学の2年生であること、教授がバスキア展の関係者でチケットをもらい東京に来たこと、神戸には何もなく飽き飽きしていること、東京には美術館がたくさんあって回り切れないこと、こんな風に誰かに写真を頼むのは初めてだということ。

ピカソが好きらしい彼は、ピカソの絵に込められた想いを教えてくれた。
一見とても抽象的で難解な絵を描くパブロ・ピカソは、キュビズムの第一人者。
ピカソが何を想い、伝えようと絵を描いたのか、知っていくのが楽しいのだと、彼は言った。


駅の改札で再びお礼を言い、じゃあ。と小さくお辞儀をする彼に、絵、がんばってね。と伝え別れた。


彼とはそれっきり連絡を取っていない。というのも、連絡先どころか名前すら聞いていなかった。
知っているのは、神戸の大学の2年生で、ピカソが好きということだけ。
本当にわたしの絵を描きたいと、それだけで話しかけてくれたのだと思うと、バイト先に向かう電車でなんだかうれしかった。


あれから半年ほどたっただろうか。彼が人物画を1枚描き切るのにどれだけ時間がかかるかわからないが、ときたまふと思い出しては、絵は完成しただろうかと、見ることの無い自分の絵を想像してしっとりとした気持ちになる。
見てみたかったなあと思い、少し後悔する。きれいな目をした彼はきっと、すごくきれいな絵を描くんだ。