ゆいゆいは飛んで咲くというはなし
“今日は1年で1番大事な日だから。”
一輪のバラを握りしめて登校した彼女は、注目の的だった。
11月の初め、雪が降ったか降りそうだったか、
そんな日の新潟県で、私は16歳になった。
彼女とは高校の最初の授業で出会った。
“こんにちは!!!!”
元気よく名乗った彼女は、何も考えてなさそうで、人生がすべて幸せなんだろうな、と妬ましく思った。
結果として彼女は、わたしの人生史上最重要人物と言っても過言ではない存在になるのだけど、
彼女と仲良くなるのに、全然時間はかからなかった気もすれば、結構時間がかかったような気もする。
うちの学校は進学校であるにも関わらず、わたしの年は定員割れしていて、応募さえすればだれでも入学できた。
異例の年だった。
“今年、定員割れだったもんな。”
彼女の珍行動に向けられるそんな言葉を聞くたび、わたしは、だれも知らない秘密を独り占めしているような、優越感に浸った。
みんなが想像もつかないようなことをやってのける彼女の隣にいたのは、いつもわたしだった。
彼女が本当は、穏やかにふるまえて、誰よりも頭がよくて、人一倍気を遣ってことばを選んでいることを、わたしは知っていた。
よく聞いていればわかった。彼女は使い分けているだけだった。
彼女以上に誰かを大切に思うことは、一生ないのだろうと、16歳ながらに思った。
大切で、愛しくて、儚くて、苦しくて、どんなに頑張っても絶対に、わたしでは受け止められなかった。
ゆいゆいに初めて会ったのは、又三郎(仮名)のライブの日だった。
わたしとゆいゆいを引き合わせたのは、やはりようすけだったのだけど。
彼が遅刻したおかげで、ゆいゆいとわたしは、顔も知らないお互いを探した。
“やまだはるかさんですか?”
数億年ぶりにフルネームで呼ばれて動揺しているわたしをよそに、
ゆいゆいって呼んでください!!!と言った。
元気だなぁと思った。
場を明るくすることが上手なゆいゆいのおかげで、わたしたちの会話はすごく盛り上がった。ライブを見ながら、謎にスパークリングを2本開けたりして、ライブの後も、又三郎の家で、ずっと一緒にいた。
そんなゆいゆいに初めて会った日から、ずっと思っていることがある。
ゆいゆいは頭がいい。
歴史を知ってるとか、数学ができるとか、英語が話せるとか、そんなどうでもいい“知識”の話じゃなくて、
ゆいゆいは、みんなを見て、理解して、自分にできる最善を、すぐに見つけることができる。
これは、すぐに習得できるスキルじゃなくて。
今までの経験が、ゆいゆいの人格が、今のゆいゆいの頭の良さを構成しているのだと思う。
ゆいゆいの中に、絶妙なバランスで同時に存在する、安定さと不安定さを、わたしはすごく、きれいだと思う。
無邪気にようすけをディスりながら、
“やまは、いい子だね!”
と言う。
“はるか、いい子だねぇ。”
新潟ではもう雪が降ったのかな。
彼女は今、どこにいるのだろうと思った。