だれのためにいきる
だれのために怒り
だれのために泣く
だれのために喜び
だれのために笑うのか
じぶんのため?
それもまた、むつかしい。
ちゅうよう
【中庸】
極端な行き方をせず穏当なこと。片寄らず中正なこと。
中庸でいることが、重要?
ぽぉんと心がはねて、パズルのピースがカチッとはまるみたいに、期待をやめてしまう。
だれのために何を書いているのかと問われれば、じぶんの気持ちを整える。ただそれだけのために書いている。
スイッチが切れてしまったじぶんの心と、今まで散々言われてきた言葉の意味と、じぶんの今までの行動の意味みたいなのも少しわかって、感情がぐちゃぐちゃする。
わかり合おうとするのがそもそもの間違いで、相手をわかろうとしなければいけないのかもしれない。
わかってもらおうと考えることが意味のないこと。
友だちとパートナーの違いは、友だちのことは知りたいと思って、パートナーには知ってもらいたいと思う。
それだけなのかもしれない。
ぐだぐだ考えるのはこの辺にして、もっと世界をシンプルにみなければ。
(人間関係においては)なぜを突き詰めるのをやめ、より感覚的にいきてみる。
言葉をこねくり回すのも、無理にわかり合おうとするのもあまり意味はないのだと、そう思い始めている。
中庸を心がける。
出ないと心が壊れてしまう。
好きか、嫌いか。
会いたいか、会いたくないか。
それだけでいい。
この考えが結局ぐるぐるしていて変わっていないじゃないかと思うかもしれないけれど、ぼくにとっては一つ大事な発見があった。
わかり合えなくていい。
わかり合おうとしなくていい。
おかげでいきるのは少し楽になったけれど、寂しさも感じている。
その寂しさはだれのためでもなく、じぶんのためのものにちがいなかった。