いやもっと死ぬ気でがんばれよところされる

だんだん仕事というものを知っていって、今日がんばっても明日も明後日も明々後日もあるのかと思って、絶望しそうになる。

 

わたしはこの世で一番ばかなのではないかと思ってきてしまって、思いつめて弱音吐きたくて何もかもがぐちゃぐちゃになってしまう。

迷いながら、苦しながら、それでも時間は進み続けていて、とまることはなくて、一度でいいから、ぜんぶを投げ出して、すべてを忘れてみたいと思う。

 

こんな生活がしたかったのかな、とか。

本当はこうじゃなかったはずなのにな、と漠然と感じた。

ここは私の本当の居場所ではない。

何かが違う。

何もかもが違う。

じぶん自身も違う気がして、空に馴染んだ薄い雲みたいに、じわりと消えてしまいたくなる。

 

そんなとき、ついこぼしてしまった弱音を、拾われてしまった。

 

いや、もっと死ぬ気でがんばれよ

 

違う、違う。

違うんだって。

そんなこと言ってほしいんじゃない。

そんなのわかってるよ。

勉強が足りてない、力が足りてない、頭が足りてない。

弱音なんて吐いてる場合じゃなくて、じぶんで選んで入社したのだから、こんなすぐにくじけちゃだめで、もっとがんばらないといけなくて、そんなことはだれよりも私がわかっていて。

 

たしかに、もっとがんばらなければいけない。

じゃないとおいてかれてばっかりだし、期待にこたえたいし。

今夜勉強しよう、と思っても、もう今日はいいっかな、明日がんばろう、って、楽をしてるのもわかってる。

 

でもさ、しんどいなりにがんばってるんだからさ。

くじけそうで、負けそうなとき、ちょっとでも前に進むために、がんばってるんだよ。

 

だから、今だけは。

 

考えすぎだなんて言わないで。

がんばりが足りないだなんて言わないで。

ぜんぶわかってるから。

 

がんばってるね、えらいね。

その言葉だけでいいから。

 

でもすげえムカついて、知った気になるなって、怒るかもしれない。

でも怒らせて。

 

死ぬ気でがんばれって言われて、どうしようもなく悲しくて空虚な気持ちになるくらいなら、あなたにムカついてしまいたい。

 

私は何者なのか。

働いていると、たまにわからなくなる。

顔の表情と心がちょっとずつ離れていって、あれ、今どんな顔をしているのだろうかと思う。

 

でもきっと、大丈夫。

鏡をみると、じぶんの姿がうつった。

これで鏡に何もうつらなかったら、きっと私は絶望していた。

不安でたまらないはずだ。

でも大丈夫。

私はここにいる。

それは鏡と、本当に大切な人が教えてくれる。

 

私は、だれでもない。

会社の歯車でもなければ、愛想笑いでだれかを気持ちよくさせるロボットでもない。

私は。

私は、私だ。

 

ほかのだれでもない。

私は私である。

それだけを忘れないで。

 

美しさも醜さも

強さも弱さも

 

ぜんぶ、私なんだ。