サンドラッグ×吉田凜音の「S&R」が好き

一応、仕事に関わりのあることでアーティストの吉田凜音さんについて調べている途中、限定公開されているこちらの楽曲を聴いた。

 

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中毒性が高くて、聴き終わったとたんに、彼女の音楽に興味を持った。

ちなみに、今度サンドラッグがあったら絶対に入店した思ってしまっているので、そういう意味では広告としての効果もバツグンかもしれない。

 

いや、すごいよかった。

まず吉田凜音がサンドラッグの店員の衣装を着て、たぶん検品用の読み取る機械みたいなのをマイクに見立てて、同じく店員の衣装を着た人たちと踊るところから始まる。

衣装が可愛い。たぶん、サンドラッグ店内で実際に着られている服ではないのだと思う。

黄色の襟が可愛い。そしてサンドラッグの看板とリンクした、白、赤、青、黄、のカラーはそのままに、私服っぽい衣装に切り替わる。

 

ぼくはたくさんのことに自信があるし、たいていのジャンルであれば、それっぽいことを言える自負があるのだけれど、その中で唯一語ることを避けていると言っていいのが音楽についてだった。

なので、吉田凜音の音楽に興味を持ったと述べたにも関わらず、楽器の音や歌詞については何も触れていない。

 

アートと名のつくものとは、じぶんは一番遠いところにいると思っている。

正直に言ってしまえば、芸術的な観点からすれば、ぼくは音楽の良さがわからないどころか、絵の良さもわからないし、衝撃的なことに食べ物や飲み物の良さすらもわからないでいる。食べ物とアートの関係にぴんとこない人には、感性と言い換えてもいいかもしれない。センスとか。

 

心動かされることに資格のいるもの。

雄大な自然や、完成された物語は、どんな人の心をも打つ。

だが、アートはそうはいかない。

感じることを許されないものには、音楽や絵、食べ物は響かない。

ぼくは音楽や絵、食べ物もすべて、「好き」を言語化できないでいる。

好きか嫌いか、よくわからないか。

その三択しかぼくにはなくて、きっとぼくは彼らアートのことを、何も理解はできていない。 

 

ちょっとまって、じぶんで言っててなんだか違う気がしてきた。

とにかく何が言いたいのかというと、結論だけ述べるのであれば、この音楽のここがよい、とか、この絵はここに美しさがある、とか、そんなもの、まだなくていいということ。

たしかに、感覚的にだけでなく、なぜ心動かされるのかを言葉にできるともっとすてきなのだろうけれど、ただシンプルによいと思ったものを、よいと言うのを恥じるのはもったいないなと思う。

 

ぼくがもっと小さい頃、

「お前、あんなものが好きなの?」

と言われて、ショックを受けたことがあった。

「変なの」

 って。

 

そうか、ぼくは変なんだ。好きでいるのはおかしいことなんだ、と思ってしまったことがある。

それから、じぶんの好きだな、いいなあって思ったものを、素直によいのだと言えなくなってしまった。

とくに音楽は、ぼくの趣味は壊滅的に悪いみたいだった。

お前って変な曲好きだよね、と言われるのがしんどかった。

 

今も自信ないし、ついつい、人がよいと思った曲(もちろん、聴いてみたらじぶんでも良いと思っているのだけれど)や、ランキングの上位の音楽を聴いて、それっぽいふりをしている。

 

強烈に好きだなあ、と思っても、どこか人の顔色を伺いながら、変に思われないように控えめに好きを出していた。

 

でも、言ってみる。

サンドラッグ×吉田凜音の「S&R」が、めちゃめちゃ好きだと思った。

他の曲も良いものがたくさんあって、今は吉田凜音を無限に聴いている。

理由は特にない。

音を楽しんでるだけ。

 

ぼくの言う「好き」には美しさも深さもないのかもしれない。

正直、このアートがホンモノなのかどうかもわからない。

ただ、ぼくの中でホンモノであることに、変わりはないのだと思う。

 

たまにはごちゃごちゃ考えるのをやめて、好きって言ってみる。