なんて自己中な人間なの
自分自身のことを大好きな人間っていうのは、おそらくこの世にはいない。
いや、いるよ。我が身可愛さに保身に走る、自己中心的な人はたくさんいる。
と言う人もいるかもしれない。
ぼくの見立てでは、この世にいるのは、3パターンの人間。
1
自分自身のことを大好きだと言うが、本当は大嫌いと大好きが同じくらいな人
なんでじぶんのことを大好きだと言い張っているのかと言えば、そう口にしないと大嫌いが加速して、もうどうしようもなく苦しくなってしまうから。
好きという言葉で、周りの(あいつはじぶん自身のことが好きなんだという)認識で、なんとか心のバランスをとっている。
たまにじぶん、天才なんじゃないかって本気で思う。
でも天才じゃないって気づいて結構落ち込む。
2
自分自身のことを嫌いと言うが、本当に大嫌いな人。
他人にほめられたり好きだと言われたりしても基本的にあまりピンとこない。
ほめられてむしろ居心地悪く感じることもあって、でもそれも相手に対してなんだか申し訳なくて、どちらにしても結局素直に受け取れなくてちょっとしんどくなる。
めんどくさくてつまらないじぶんが嫌い。
じぶんと一緒にいてもこの人は楽しくないのではないかと思ってしまう。
夜、一人でいると、たまに泣きたくなる。
3
何も言わないが、本当はじぶんのことまあまあ好きな人。またはまあまあ嫌いな人。
まあまあ好きもまあまあ嫌いも根本的には一緒で、じぶんに対して甘い。
ゆるっと、別に今の状況そんなにすごい悪くないなあとか感じてるから、基本的に変わろうとしないし、あまり人の言葉も真に受けない。
何言ってるんだろうこの人、って思いがち。
結構楽観的に生きているけれど、どこか物足りなさを感じながら日々を過ごしていて、いつかその穴を埋める存在が見つかってほしいと願っている。
寝ることがゆるっと、嫌いじゃない。
ぼくは基本的に、人をほめるような、プラスの意味のあるような、そんなきれいな言葉が好きだ。
それが本心かどうか、言葉の裏表を探ろうとするのではなく、きれいな言葉を言葉のまま、素直に受け取ろうと心がけている。
きれいな言葉を使おうとすること、その行為に対して大きな価値を感じている。
書く文章というのは、一度じぶんで考えた上で、ゆっくりと表すことのできるものだから、きれいな言葉を使いやすい。
逆に人と会話するときというのは、思考がだだもれになることがあって、ついマイナスな言葉を使ってしまうことがある。
みっともないからやめたい気持ちはあるのだけれど、どうやらぼくには悪い一面があるらしく、意識してどうにかしようと思わなければ、いつまでたってもきれいな言葉を使いこなすことはできないだろう。
最近はそのトレーニングの一貫として、きれいな言葉を安直に、楽に使えてしまう、文章というやつに、あえてマイナスな言葉を混ぜつつ、それをきれいごとにしない、穏やかなプラスの言葉を添えてみる。というのをやっている。
芸人のコンビがよく使うような、一人が毒を吐き、一人が諌(いさ)めることで、マイナスな言葉をマイルドに昇華させる、というやつである。
ちょっと長くなってしまったから、次回に持ち越しで。
じぶん大好きって言う言わない人間3パターンのマイナスっぽい要素を書き出したから、次回はそれぞれのぼく的好きなところを挙げていこうと思う。
ちなみにけいのさん(仮名)は人のことをバカにしているけれど、それ以上に面白がってくれて、話をきちんときいてくれるという、海みたいな人。
ぼくが彼女を信頼しているのか、なんなのか、じぶんがどう思っているのかはよくわからないけれど、一つ、けいのさんに関して断言できることがあるとすれば、これからもっと、美しくなる人なのだと思うということ。
それだけ。