制服ディズニーってなんでやるんだろ
高校の制服を着てディズニーに行くことを制服ディズニーと呼んで、多くの人がこぞってやりたがるようになったのは、ディズニーのテレビコマーシャルかなんかで、春休みの学生向けキャンペーンを打ち出したのがきっかけらしい。
高校の制服の持つ「青春」というイメージと、ディズニーの夢の国がうまくかけあわさって、人々に憧れを抱かせた。
高校生は最後の「青春」を謳歌するため、大学生や大人たちはできなかった、または忘れてしまった青春を取り戻すために、制服ディズニーなるものを夢見た。
夢の国。
そこはなんでも許される、童心にかえれる、青春のつまった場所。
かくいうぼくも、大学生の頃に制服ディズニーをしたことがあった。
厳密には制服を着た女の子たちと、私服のぼくらという、ちぐはぐで、奇妙なものだ。
たしかに制服姿の女の子はかわいいし、高校のころの純粋な気持ちを思い出さなくもなかったけれど、並んで歩くのが私服のぼくらだったことから、むずむずとした、何か悪いことをしているような気分になってしまうのは否めなかった。
高校生が、あえてディズニーで制服を着るのはなんでなのだろう。
制服ディズニーはめちゃくちゃ知名度があるのに、制服タピオカとか、制服原宿とか、制服サイゼ、とかはきかない。
かろうじてきいたことのあるものといえば、制服プリ、制服デート、制服カラオケ…、はないか。
毎日制服を着てる彼らが、あえて制服を着たいと思う場面がとても限定的なのは、興味深いと言う他ない。
高校生があえて制服を着たいと思うのは、制服の方が盛れるから、今しか着れないから、というのが挙げられるらしいのだけれど、だったらディズニー以外でも着ていいのではないだろうか?
と思ったのだけれど、もしかしたら本当は、高校生はみな、学校以外でも制服を着たいと思っているのかもしれない。
だってかわいいし。
盛れるし。
JKブランドだし。
卒業したらコスプレになっちゃうし。
青春のイメージのつまった制服を着て、本当はもっともっと写真をとりたいのかもしれない。
けれど、制服○○がないと誘いづらい。
制服ディズニーいこう! と言っても、何言ってんだ?笑 とはならないけど、今度制服着て渋谷に買い物に行こうよ! って言ったら、「お、おう」ってなる可能性がなくもない。
制服ディズニーの持つ特別感が、あえて制服を着るという行為を正当化している。
それがぼくのたてた仮説だった。
だから、制服を休みの日に着ることは別にふつうだよ、だって3年間しか着られないんだから、高校生にしかできない制服ファッションを楽しもうよ、っていう風潮をつくることができれば、制服ディズニーという言葉は消えるかもしれない。
ぼくの予測した5年後は、
高校生A「制服ディズニー? あぁ、おばさんおじさんがなんかコスプレして行くやつ笑」
記者「でも君たちも制服着てディズニー行くよね?」
高校生B「私たち、あれ私服なんですよ笑 どっか出かけるってなったら基本アレンジした制服着るから、わざわざ制服ディズニーって言わない笑」
高校生C「青春ディズニーだよね?笑笑」
みたいな感じ。
ぼくにとっての青春は、そんなキラキラしたものではなかった。
朝から晩までカラオケに行って、自転車でどこか遠くまで行って、河川敷でアイス食べて。
バカみたいな男の子たちで、バカみたいな話で笑って、いつもただひたすらにふざけていたなあ。
高校生のぼくらは、きっとディズニーに行っても、ダサいほどにカッコつけて、興味のないフリをして、ベンチか何かで座りながら、ろくでもない話ばかりをしているのだろう。
それもまた、青春にはちがいなかった。