とみやまは水という話
今一番頭をしめているのはとみやま(仮名)について。
口グセは「きも!」
とみやまと初めて会ったのは、ぼくの大好きなバイト先。
新人として入ってきた彼女は、面白いほどにイキって、見事な働きっぷりをみせてくれて、ぼくは興奮して、他のスタッフに「やばい新人が入ってきた」と言いふらした。
彼女の働き方も、考え方も、すべてが好きだった。
どう面白がるかを考える。
しかもそれは、楽するとか、サボるとか、そういうものではなくて、いかに仕事をきちんと面白がるかという考え方で、忙しくなってお店の雰囲気が悪くなるのを嫌がる彼女は、場を明るくしようとじぶんにできることをしていた。
ぼくの誕生日の日、3軒目にバイト先に飲みに行って、そこではとみやまが働いていた。
酔っ払いすぎていたのだと思う。というのは言い訳だ。
仕事をあがったとみやまと話がしたくて、ぼくの誕生日を祝うために来てくれた人たちをおいて、「一緒に帰ろう」ととみやまに言った。これは非常に悪いことをしたと思っています。ごめんなさい。
ずいぶんと強引に、そのままお店を出たぼくは、コンビニでとみやまにシュークリームを買って、駅までの道を歩いた。
正直何を話したのかは覚えてない。
楽しかったな、という余韻だけを残して、わかれる。
ぼくと彼女のシフトのあがり時間は違うので、一緒に帰ったのはその日が初めてだった。
そこから、一回か二回、偶然早くあがれた日なんかに、ちょっとだけ同じ夜の空気を吸うことがある。
営業前のまかないを一緒に食べたり、電話をしたり。
今思い返してみれば、意外とと言っていいくらい、長いこと同じ空気を共有しているのかもしれない。
とみやまの持つまっすぐさ。
美しくて、透明で、幼い。
とみやまは水みたいだ。
すくったら、手から簡単にこぼれてしまう。
どんな形にもならない。
だれとでも仲良くしていそうで。
コミュニケーションを上手にとることができて。
場の空気を変えてしまえる力を持っている。
なのに、形がないようにぼくの目には映る。
彼女の心は、無色にみえる。
期待することを、諦めている。
期待されることを、とてもおそれている。
そう、勝手にぼくは決めつけている。
とみやまが人をバカにするのも、自信家であろうとするのも、場の空気を読むのも。
とてもすてきだ。
決めつけるところも、抱え込むところも、本当は不安なところも。
とてもとても。
彼女は人が嫌い。
それと同じくらい、じぶんのことが嫌い。
きっとだれよりも人のことが嫌いで。
でも本当はだれよりも人間が大好きで、好きになりたくて、苦しんでるのかもしれない。
そんなとみやまがすてきだなあと、ぼくは思う。
水みたいに透明にみえる。
だからとみやまは大丈夫なのだと、人は思う。
けれど本当は、大丈夫なことなんて一つもない。
そのまっすぐさが、彼女自身を傷つけやしないかと、不安でたまらない。
でも、そんな不安定なまっすぐさでさえ、とても美しいとぼくは思う。
まっすぐであること。
とてもよいことだ。
それは強さ。
でもぼくは、人間に強さなんていらないと、勝手に思ってしまっている。
じぶんの弱さを、他人の弱さを、受け入れるだけの優しさを、柔らかさを、持つだけで、それだけでいい。
だから、こんなことを言ったらまた「きも!」って言われるかもしれないし、その言葉はあまり好きではないけれど。
弱くても、悪いことなんて何一つないのだと。
ぼくのエゴを、遠い未来でも、思い出す日がきてくれたらなあと。
小さく願っている。
信号待ちをするその横で、とみやまは
「好きよね?」
ときいてきた。
好きだよ、とぼくは言う。
じぶん自身も含めた、ありとあらゆる人が嫌いな、そんな彼女のことが。
ぼくはとても好きだと思った。