私がこの世でいちばん愛した人
けいのさん(仮名)がシェアしてくれたこの記事は、書いてある通り、重いもので、長くて、しんどさを感じた。
何時間もひとりで「遊んでいるふり」をしているその小さな子どもを、潰れるほど強く抱きしめてあげたい。その子が望むなら、さらって連れ帰ってもいい。ここにずっといていいよと教えてあげたい。生きていていいんだよと。
そして言うのだ。「あなたを愛してるよ」と。
そして同じように、ひとりで苦しむ母を助けてあげたい。「大丈夫だよ」と抱きしめてあげたい。「あなたは頑張ったよ」と。
読み終わったあと、ぼくは無理だと思った。
同じような経験をして、同じような言葉を言えるだけの強さと弱さを、持つことなんて不可能に思えた。
嘘みたいだった。
読んでも現実感がわかない。
その痛みにも、強さにも、弱さにも、寄り添うことなんてできない。
だってぼくは、そんなこと経験したことないから。
想像するしかなくて。
きっとその想像も足りなくて。
人の悩みや苦しみをきくたびに感じる、遠さと無力感。
じぶんにできることは何一つないように思えて、悲しくなって、どうすればいいのかがわからなくなってしまう。
裏切られたくない。
だからこそ人は、愛することをおそれる。
失うことのしんどさを知ってるからこそ、手に入れようとすることを、心のどこかで諦めてしまっている。
キャバクラやホストクラブに行く人たちは、特段と裏切られたくないのだとも思う。
お金を払い続ける限り、裏切られる(拒絶される)ことってなくて、そこには絶対的な安心感があるのかもしれない。
でもそれは、根本的な解決にはならない。
条件付きの繋がりは、その条件を満たせなくなった瞬間あっけなく崩れてしまって、虚しさであふれてしまうはずだ。
この人はわたしのことを絶対に裏切らないだろうという繋がり。
裏切らない、の定義をしっかりさせないといけない。
嘘をつかない。
ごまかさない。
逃げない。
絶対裏切らない関係を明文化したものを作ってみたいな。
兄弟の契り、みたいなの。
そこにある重さが、すくってくれるものって、あるのだとぼくは思う。
まあ重いけど。
ルールみたいにすると義務感でつまらなさそうだから、一方的な宣言みたいにすればいいのかもしれない。
愛って結局、とても一方的なものだ。
彼女は一方的に、相手を愛しきっている。
その強さも、弱さも、もっともっと知りたいなあと思った。
裏切らない人間になりたいな。
ぼくの、愛してるよ、生きてていいんだよ、って言葉を、人がそのまま受け取れてしまうくらい、 まっすぐな人間になりたい。
この記事を読んで、そう思った。