余裕があると無関心は似て非なる
ぼくは常日頃から余裕のある男になりたいと考えているのだけれど、じぶんの熱心な部分、強すぎる気持ちの部分のせいで、わぁーっとなって、余裕を持ちきれない場面が何度もある。
余裕のある人ってモテる。そこには安心感があって、たとえ何があっても、どこかで頼っていいのだと思わせてくれるから。
慌てない。うろたえない。焦らない。ゆっくりと、落ち着いて対応する。
それってやっぱり、かっこいい。
でも、それって、無関心と似ているんだ。
なんの興味もない人って、慌てない。
だってどうなってもいいから。
うろたえることもないし、どうにかしなきゃって焦ることもない。
別に急ぐ理由も、何かをしなければいけない理由もないから、ゆっくり、落ち着いて対応する。
だから一見、無関心な人って余裕があって、魅力的に感じるのだけれど、本当は恐ろしい人間なのだとぼくは思う。
怒らないし、落ち着いて見えるし、一緒にいてきっと楽しいのだけれど、パートナーとしたとき、こちらに対しての無関心が強すぎて、愛が薄くて、束縛を嫌い、そもそもなんで一緒にいるのかがわからなくなってしまう気がした。
余裕のある人と同じくらいモテるのが、夢がある人、一生懸命な人である。(たけうち調べ)
ただ、一生懸命な人って、じぶんに対してとてもストイックな分、ほかの人への要求度も高い。
こだわりがあって、強い意志があって、熱量があって。
何がなんでもがんばるぞ、って思っているから、とどまることを知らない感情がわぁーっと溢れ出してしまうことがある。
余裕がある人っていうのは、がんばるぞ、のその延長線上にあるのだとぼくは思っている。
がむしゃらにがんばった先に、ようやく後ろを振り返る時間であったり、余白が生まれたりすることで、余裕を身につけるのだと思う。
それって、一生懸命な時期を乗り越えなければいけない。だから、年上の男性ってモテるのではないかなあ。
ギラギラと、がむしゃらにがんばっていた時期を乗り越えて、その学びを経て余裕が生まれる
余裕がある男になりたい。
でも、良い意味でも悪い意味でも目の前のことに集中しすぎて、がんばりきる、ということはしたくない。だってきっと、そんなことをしたら、余裕をもてるのは数十年後になってしまうから。
おっちゃんになってようやく、若かったなあ、いろんな人を傷つけたなあ、いい思い出だなあ、とか感傷に浸って、若い女の子と付き合うのはいやだと思った。
無関心はもっといやだ。
一生懸命すぎて、周りが見えなくなるのもいや。
がんばりつつ、余裕のもてる男になりたいなあとか考えているけれど、こんなぬるい考えでは、どっちつかずになっちゃう気もする。
きっと、そこそこっていうのが一番幸せで、ぬるま湯みたいな心地よさなのかもしれない。
とてもよいには違いないのだけれど、じぶんがそうなるのは少しだけいやだった。
答えは今日も、見つからずにいた。