どんな人でも好きになれる方法の話

人のことを嫌いたい人って、たぶんいない。

だってめんどくさいし。

 

だから人は、無意識で嫌いたい人が現れたとき、その人に嫌われていると考えてしまうのだとぼくは思っている。

この人はじぶんのことが嫌いなんだ。

だからなんかじぶんもこの人苦手だな、ちょっと嫌だなあとか思う。

 

すると、じぶんも相手に対して嫌だなあの気持ちがどこかで漏れてしまって、無意識の内に良くはない態度をとってしまう。

そこからは、互いに嫌になり合う負のスパイラルが待っている。

 

いつだって、じぶん起点を忘れてはいけないのだと思う。

じぶんを軸にして、そこから世界が広がっていくイメージ。

じぶんにとって世界とは、じぶんが認識しているから存在するのであって、物事を決めるのはいつだってじぶん自身だ。

なんだこいつ、って思う人がいるとする。

意味わからないな、とか、気持ち悪いな、とか、ポジティブではない感情を抱く。

でもその気持ち悪さって、本当にその人のせいなのだろうか?

じぶんを起点にして考えると、気持ち悪い人の行動や言動は、もしかしたらこちらの認識のせいであったり、理解が足りなかったりするのではないだろうか。

もちろん、ぜんぶじぶんが悪いのだ、と思いつめる必要はない。

ただ、客観的に見て、気持ち悪い人間がいるのではなく、じぶんの主観で、偏見を持って気持ち悪いと思っているのだ、という気持ちを持つ。

 

そうすると、ちょっと楽になるのだと思う。

あ、じぶん、あの人のこと気持ち悪いんだ、とか、好きじゃないんだ、とあらためて認識することで、楽になることがあるのだと思う。

じぶん起点で、じぶんの心をスタート地点にして感情を考えると、なんで嫌なのかとか、なんで苦手なのかがわかってくる。

すると、相手に対して否定したくなっている部分が、個人そのものではなく、個人の一側面でしかないことがわかるようになって、「あなたのことが嫌い」なのではなく、「あなたの特定の一部分が嫌い」となる。

 

嫌いな人と一緒にいる必要はないとか、わざわざどうでもいい人を好きになる必要はないとか、ぼくは今までよく言われてきた。

けれど、嫌いなのはその人の一部分で、変わってくれたらよりすてきだなあと考えているだけで、親しい仲ならお互いが考えていることなのだと思う。

友だちの人間性や考え方、性格も含めてぜんぶ好きで好きでたまらないことって、きっとあまりなくて、好きじゃないところを探すのはそんなに難しいことではない。

だから、好きじゃない部分があるのはしかたのないことだし、無理に変えろとは言わないけれど、自身の考え方を他者は別の捉え方をすることもあるのだなあと頭の端っこにでも気に留めてくれると、やっぱりすてきだなあと思う。

 

万人に好かれる必要はない。みんなにいい顔していたら、みんなに嫌われる。

たしかにそうかもしれない。

調子のいいことばかり言って、きちんと一人一人と向き合おうとしなければ、人は離れていくかもしれない。

ただ、ぼくの言う万人に好かれることや、どんな人でも好きになりたいことって、「嫌われたくない」とイコールではない。

嫌われてないって、どんな感情でもなくて、平坦で、それって無に近いのだと思う。

無関心で、害にならなくて、どうでもいい。

 

そうではなくて、好きを増やしていく。

好きを増やすと、楽しみが増える。

あの人好きだから会うのが楽しみ。

この人も好きだから、会うのが楽しみ。

好きが増えると、幸せが増えるとぼくは思っている。

 

どんな人でも好きになることは、まずじぶん起点を意識して、その人の嫌いな部分を嫌いな部分であると認識することから始まる。

そうすると、好きな部分も浮いて出てくる。

ここ嫌いだけど、ここはめっちゃ好きだなあ、とか。

 

好きが一つでも見つかれば、あなたはその人が好きである。

だって、知らない人の好きなところなんて、一つも見つからないでしょ?

自信を持って、胸張って、好きなんだと伝えればいい。