きもの出社はボツという話

今日もきものを着て出社して、上司にOKをもらっていたのでその格好でインタビューをしにいくつもりだったのだけれど、社長にとめられて、着替えることになった。

 

金髪にしろ、改名しろ、キャラ付けをしろ、と言っていた社長の言葉をじぶんなりに考えて、結果きものを着るというところに個人的に落ち着いていたのだけれど、どうやら社長の気に召さなかったらしい。

会社にきものを着ていったぼくをみて、社員の反応は様々だった。

いいじゃん、それで営業いったらインパクトあるね、と言う人もいれば、無関心な人、ただただ笑う人、やる気あるね〜と言ってくれる人、よくわからない表情をする人、お正月だね、と感想を言う人など、同じリアクションをした人は一人もいなかった。

 

ぼくはそれぞれの人の反応を意識して観察しながら、会社にきものを着ていくこととはどういうことなのかを考えた。

ある程度の期待、予想をしてのきものを着るという行動ではあったけれど、やはり実際にその結果というか、反応を見るのは面白くて、とくに社長が難色を示したのは興味深かった。

社長は常日頃から、面白いこと、突拍子もないことをやれと言っていたから、面白い!と言うのかと思えば、「それはやりすぎじゃない?」とだけ言った。

どうやら気に入らなかったようだ。

社長が気に入らない、着替えてこいと言うのであれば、ぼくは着替えるしかなかった。

すぐさまユニクロにいってトップスとボトムスを揃えて、靴は無印で買った。

社長の反応をほかの社員に話すと、「社長も無理なら最初からそんなこと言わなければいいのに」とか「社長が言ったのにね」と言う意見とかもあって、なるほどなあと思った。

 

なんで「やりすぎだなあ」と感じたのかを、ぼくは考えなければいけない。

「金髪にしろ」「改名しろ」という言葉一つ一つを、ただただ素直に受け取っていいわけではないのだろう。

ぱっと見てみたとき、ぼくのきもの姿は社長にハマらなかった。だから、違くない?となってしまった。きっとそれは、ぼくに責任がある。

 

例えば、扇子を持っていたらまた違ったのかもしれない。

和傘を持っていたら、いいね、となっていたのかもしれない。

逆にブーツをはいていたり、帽子をかぶっていたりしたらどうだろうか。

 

指示って、一番あいまいなものだ。

あいまいな言葉を、くみとって、噛みくだいて、心にしまわなければならない。

そのために考え続けることを、ぼくらはやめてはいけない。

言葉は言葉でしかなくて、心は別にあるから。

その言葉の裏に隠れた、本当の心を知るようつとめなければいけないのだろう。

 

上の人に迎合するつもりはない。

けれど、今までたくさんの経験をしてきた人たちの持つ感覚や言葉って、無視していいものではないのも確かだ。

だから一回、素直にきく。

素直に言われたことはやるし、素直に否定されたら変えてみる。

でもそれは、言われたから仕方なく、とか、あなたが正しいから従う、というわけではない。

 

経験を積んできた人の、なんか違うなあ、ってバカにならない。だから、何が違うのかを考える。一度言われたままに修正してみて、そっからじぶんで考えてみる。

何が違うのだろうか。

じゃあ逆に、どうやったらきものを着るという行為が受け入れられるのか。

どういうキャラ付けだったら、面白いと思ってもらえるのか。

否定されるような行為を、どうやったら面白いと思って受け入れてくれるのか。

頭で考えながら、じぶんのやりたいこと、意見を最終的に通すために、何ができるのかを考える。

じぶんが何をしたいのかを考える。

 

それが面白いんだと思う。

 

きものはボツ。

じゃあきもの+何、だったらいいのかを、考えてみたいと思う。