心の中にバルスを飼う
ツイッターでもバズったことのある、「天空の城ラピュタ」のクライマックスで使われる言葉、バルス。
ラピュタ語で「閉じよ」を表すこの言葉の語源には諸説あって、トルコ語の「平和」からきてるというのが一番有名みたい。
ぼくはこの言葉を小さい頃のシータがお母さんから教わった時のシーンが好きだ。
といってもうろ覚えだけれど、確かお母さんは、
絶対にこの呪文は使ってはいけないよ。
と言って「バルス」という言葉を教えていた。
これは滅びの呪文だから。
絶対に使ってはいけないのなら、そもそも教える必要はないはずだ。
小さい頃のシータも同じように疑問を持ち、
なんで使ってはいけない言葉を覚えなければいけないの?
ときく。
お母さんは、
悪い言葉、マイナスの力を知っていることが、良い言葉、プラスの力をより引き出すことに繋がるんだよ。
みたいなことを言っていた。気がする。
このセリフはぼくの心の中で、ずっと響いている言葉で、ラピュタをみるたび、だれかがバルスと言うたびに、ぐぅっと胸にくるものがある。
良いことばかり知っていても、いいところにだけ目を向けようと思っても、十全にはならないのだなあと思う。
そこには良い、悪い、で分けられるようなシンプルさではなく、劇中でバルスという言葉が救ったもの、トルコ語で「平和」を示す言葉であることも、何か関係している気がしてならない。
一方にのみ目を向けるのではなく、どちらにも意識を向け、知ろうと努める。
だからぼくは、友だちや大切な人の好きではない部分がいくらあっても良いと思っている。
目をそらす必要も、じぶんが嫌なのだということを隠す必要もないと思う。
知っていること。
使う、使わない、言う、言わないはさておいて、知っていること。
バルスを知った上で使わない選択肢をとるのと、バルスを知らないから使おうとも思わないし、結果使わない、というのは、かなり違うはずだ。
以前ツイッターで、すごくすごく嫌いな人を、完全犯罪で亡き者にする方法を考えまくって、「いつでもこいつを消せる」とわかった時から、その人と接するのがすごく楽になったというツイートをみた。
多くのストレス解消法を知っていれば知っているほど、それを実践しなくてもストレスは軽減されるという研究結果もあるらしい。
ぼくは良い言葉や、良いコト、優しい世界であってほしいなあと思っている。
だからこそ、世界の悪い方にもきちんと目を向けて、じぶんの心の悪い部分も否定したり潰そうとしたりしないで、胸の中にバルスをしまっておきたいと思う。
心の中にバルスを飼う。
飼いならして、いつか本当にダメだと思ったら、唱えてしまえばいい。
バルス。
その先にあるのは、滅びだけではないはずだ。