いや、そのサインは見逃すよ

「たけうちって、嘘ついたことある?」

「あるよ! 基本おれはうそつき」

 

なんて、ただの言葉遊びだと思ってた。

言い訳をするのならば、車を運転していたし、その人の表情をきちんと見ることが物理的に難しかった。

ただ、信号なんていくらでもあるのだから、とまったときに横を向けば、それがふざけているのか、何でもない会話なのか、真剣なものなのかはわかるはずだった。

そもそも、声音で判断できたかもしれない。

 

この会話のあと、ずいぶん経ってから、一筋の涙を流した彼女はぼくについた嘘を、しめった布から水を一滴しぼりだすみたいに、苦しげに話した。

 

ぼくはそのとき、急に何でそんな話になるのかがわからず、どうしていいのかわからず、混乱したまま車を路肩につけることしかできなかった。

 

今思い返してみれば、

「たけうちって、嘘ついたことある?」

っていう言葉こそが、サインで、見逃してはいけないものだったのだろう。

 

いや、そのサインは見逃すよ

 

そう言ってしまいたくなることが、たくさんある。

ほかにも多分、ぼくが今まで気づくことのできなかったサインがいっぱいあって、見逃したことでたくさんの失敗をしてきたんだと思う。

 

男性諸君。

謎をすべて解く必要はない。

ただ、これはどんな謎だろう?と、謎があることを認識して初めて見つけることができるには違いない。

だから、女の子の言葉も、表情も、行動も、すべて見た目以上の意味を持っているのだと、肝に銘じて過ごすべきだろう。

 

そう思うようになってから、ぼくは、人の顔や動きをよく見るようになった気がする。

いくらがんばってもわからないことだらけで、本当の意味というのをいつも見つけられずにいる。

まあわからないということを知っているだけで、とりあえずよしとする。

 

こうたろう(仮名)みたいに、いちいち言葉一つで一喜一憂して振り回されるのもどうかとはおもうけれど。