オーストラリアにトイレはない話

今日は公園でBBQをした。十人くらい集まって、今はメルボルンでワーキングホリデー中の大学時代の友人、ゆうき(仮名)とも実に一年ぶりくらいに再会した。

ちょっとオーストラリアの話は日本に帰ってきてからアップデートしていくつもりだから、とりあえず、今日何したのかをメモ代わりに書いていこうと思う。

本来オーストラリアではストリート上や屋外での飲酒はおそらく禁じられているのだけれど、BBQが無料でできて、なおかつお酒も外で飲んでいい公園が川沿いにあって、その名をBatman Parkといった。

ぼくは今回の旅でこの公園の名前だけは忘れないだろうと断言できた。

そんなすてきな公園でやまは(仮名)の友人であるロバート(仮名)がオーガナイズして、BBQパーティを開催してくれた。

初対面の人とたくさん会って、ゆうきも呼んで、面白い関係の広がり方で、とても楽しいなあと思った。

 

昼からお酒を飲みながら肉を食べていたら、どうしたってトイレに行きたくなるに決まっている。

あっちからぐるっと歩くとトイレあるよ、とゆうきに指さされた場所へ行ったけれど、トイレは見当たらない。

なんか薄暗くて、壁にアートペインティングみたいなのがされている路地裏みたいなところで、トイレと書かれた場所が見つかったけれど、いくら扉を引っ張っても開かないし、そもそも人が入っている気配もない。

男の子だから、犬と同じ感覚でそこらへんですることもできたけれど、品がないし、手洗いたいし、遠い異国の地でそんなことをするのはなんだかはばかられて、ぼくはトイレを探すことにした。

メルボルンで幾度となく見たセブンイレブンに入るも、トイレはない。レストランに入るも、トイレは外出て右だよって言われて、さっきの開かずのトイレにしかたどり着けない。トイレのマークだと思って入っていったらただのエレベーターのマークで、無駄に駐車場にいってしまう。

など、迷子を極めたあげく、公園から遠ざかるように川沿いに歩いていって、道行く人に「トイレありますか?」ってきくことにした。

みんなめちゃめちゃ親切だったのだけれど、誰もトイレの場所を知らなかった。

ぼくはじぶんのタイムリミットを感じながら、走った。

走り続けて、声をかけ続けて、ようやくたどり着いたのは、ショッピングモール。

 

結局BBQの公園に戻ったのは、30分後とかだった。みんなにめちゃめちゃ心配された。四人から一気に連絡がきてて、ごめんって思うのと同時に、みんな一緒にいるんだからメッセージ送るの一人でよかったやん、と思った。

ちなみにトイレを探している途中に、これは遅くなるなと思ったぼくはゆうきにラインで「トイレ探してる、しばらく戻れない」とだけ送っていたのだけれど、それが余計に心配をさせたみたいだった。

トイレ、そこにあるじゃん、どこいったのあいつ? みたいな。

それが今日一番おぼえていること。

ほかにもビーチのお祭りいったり、ジャック・ホワイトホールのショーをみたりして、とても充実した1日だった。

ジャックホワイトホール、英語が早くてわかりにくいところもたくさんあったのだけれど、下ネタだけは結構すぐ理解できて、めちゃめちゃ面白くて、ああ、下ネタは言語の壁も簡単に超えてしまうんだなあと思った。

 

ロバートには感謝してもしきれない。

 

ここ1ヶ月くらい、やまは(仮名)がぼくの名前を呼ばなくなってるなあと感じていて、今朝なんて、

「もしもし?」

「……、え、おれのこと? 電話?」

「あなたのことだよ」

と言われて、確信を深めていたのだけれど、どうやらぼくの考えすぎだったみたいだ。

やまはにきいたら、

「そうなの? 全然意識してなかった」

とびっくりした顔をされて、なんだかほっとした。

 

今日一番すてきだなあと思ったのは、夜やまはと二人、リビングで話す時間。

楽しいと同時にぼくらは疲れていて、だからこそ、ソファで落ち着いてゆっくりと話すのは、とてもすてきだった。

 

ただ、何よりもすてきだったのは、おやすみのあとの「ありがとう」がハモったことで、こんな風に感謝して過ごせる日々が、これからもずっと続いてほしいなあと思いながら、明日も楽しみでたまらない。