ゼミについては語らない話

さわこ(仮名)のことは、よくわからない。

 

ゼミについて語りたいことがあるとすれば、それは閉塞感であったり、全体の態度であったりするのだけれど、こんなところでぐちぐちと文句を言うのは、ダサすぎる。

実際、他のゼミ生がどう思っていたのかは知らないけれど、ぼくは楽しんでいたし、居心地は悪くなかった。

本音を言うと、グループ研究って時間とられるし、面倒だなあと感じているのだけれど、それ以上に、発表って、めちゃめちゃ興奮するし大好きだ。

じぶんが時間を尽くして、まとめあげたものを、多くの人が注目をして、見てくれる。

べらべらと10分以上も話し続けても、それをさえぎる人がいない。

飽きさせるのも、魅了させるのも、じぶんの腕次第。

いつからか人前で発表することに大興奮するようになって、大学時代の後半は楽しくて仕方がなかった。

 

ただきっと、逃げてしまった(行かなくなった理由は色々あるけれど、もし真剣であったのなら、行くことをやめるわけはないので、結果逃げてしまっていた)のは、ぼくが未熟で、みなみ(仮名)の光に、あてられたからだ。

 

みなみは、想像力が豊かである。

だからとってもすてきだなあと、ぼくは思っている。

 

笑いを起こせる人、周りに笑いが絶えないような人って、すごく想像しているのだと思う。

この人が傷つかないかな、不快に思わないかな、この言葉を発したら、他の人はどう考えて、どんな感情になるだろうか。

と。

ぼくらがきっと、意識的に考え続けようと思ったら、しんどくてやめたくなってしまうようなことを、彼女は平気そうな顔で(少なくともぼくらの目にはそう映るように)、こなしてしまう。

 

面白い人って、目立ってる人であったり、よくしゃべる人と思われがちかもしれないけれど、その場で本当に面白いのは、それを笑っている人だったりする。

 

だれかを笑いモノにするのではなく、想像力を働かせ、その末に笑うという行為を選んだり、突っ込んだり、そのみなみの上手さに、品を感じてしまう。

 

みなみは想像力が豊かで、他の人の「嫌」という気持ちもきちんと理解ができてしまって、だから、笑うことを選択したのかなあと、勝手にぼくは考える。

 

彼女は、ポジティブな感情を、じぶん主体で出してくれる。

嫌な人がいるかもしれない。だめだと言う人もいるだろう。

けれど、「わたしは」よいと思う。

 

そんな肯定してくれるような彼女の笑いが、やっぱりとてもすてきだなあと思った。