東京は悪魔である話
ぼくはずっと、東京で暮らしている。
悪魔って、何か大切なモノと引き換えに、願いを叶えてくれるもの。
誘って、惑わして、堕落していく。
東京には、なんでも揃っている。日々、新しいモノ、サービスが生まれ、より便利に、より豊かになっていくように思われる。
田舎には刺激がなくて、閉塞感があって、だから、なんでも揃っていて、なんでもできるような気がする東京は、夢のような都市だ。
広告代理店で働いていたとき、勉強のために、たくさんの広告をみた。
どんな販促、プロモーションが行われているのかを勉強して、次に何がウケるのか、何がバズるのかを、ない頭を使ってうんうん考える。
売るために。東京は、そんな軸で動いて、うねって、生きているように、ぼくには感じられる。
金、金、金。
悪だとは断定できはしない。
たしかに経済が回れば、より社会は発展していく。
日々生まれる新しいサービスを見て、あれもこれもやりたくなった。これ、便利だなあ、じぶんも登録しよう、とか、これがあれば豊かな生活が送れるはずだ、とか。
でも、ちょっと待てよ。
豊かさ、ってなんだ?
たしかに、便利になるかもしれない。かゆいところに手が届いて、だれかが掻いてくれるのは、魅力的に思えた。
ただ、じぶんで掻いてはいけないのだろうか?
かゆいところを、AIの搭載された高性能なロボットが、ただちに検知して、5本ある人の手を模したアームで、1ミリの誤差もなく掻いてくれる。
たしかに便利だ。
でも、百円ショップで孫の手を買って、じぶんで掻いてはいけないのだろうか。
なんなら、そこらへんの木の枝で掻いてはどうだろう。
枝がないなら、だれか家にいる人に頼んで、掻いてもらっては?
いろんなプロモーションを見て、新しいサービスやモノを見て、すべてほしいと思って、一周も二周も三周もして、ぼくは同じ位置に戻っている。
東京は魅力的な場所だ。なんでも揃っていて、日々新しいモノが生まれている。
東京にいれば飽きることはないだろう。
刺激的で、常に新しさに出会える。
じぶんの心にはなかった欲求が刺激され、本当は欲しくもないのに、欲しい気持ちにされて、買ってしまう。お金を払ってしまう。
本当に欲しいものって、なんだ?
本当にじぶんが大切にしたいことって、なんだろう。
これがほしいから、お金をたくさん稼ぐのだ。
お金を稼げば、生活はより便利になって、どんな願いも叶うのだ。
お金で買えないものはない。
だって、東京にはありとあらゆるサービス、モノがあるから。
本当にそうなのかなあ。
わかっている。
じぶんが甘ちゃんで、ほかの人たちよりも人生というものを味わっていないから、そんなことを言うのだということは。
お金がないと、苦労する。
東京にはなんでもあって、ずっとその「なんでもある」状態の場所にいるぼくが、何かを言うのなんて、まったく的外れなのかもしれない。
でもやっぱり、ぼくは東京は悪魔的だなあと、思ってしまう。
東京にずっといたからこそ。
濁流のようにやってくる新しいサービスやモノを、この身で感じているからこそ。
じぶんの本当に大切にしたいモノを引き換えに、ぼくらは悪魔によってうまく誘導されたニセモノの「願い」を叶えてもらっている気がしてならない。
あらためて、考えてみたいなあと、ぼくは思った。
ぼくにとって、大切なものってなんなのだろう。
あなたにとって、大切なものは何?