書いてくれる人募集

たとえ悪口に見えたとしても、その人のことを考えて、言葉を尽くして、じぶんにとってどんな人なのかを表現している時点で、好きを隠しきれていないのだと思う。

どうでもいい人のことなんてわざわざ言及しない。

 

最近、少なくない人が、文章を書いてくれると言ってくれていて、ぼくはそれを、いろんな人に見せたくてたまらない。

ぼくのことを書いてくれるのがすごくすごくうれしいけれど、好きが隠れていないのであれば、だれのことを書いていてもすてきだ。

 

この機会に、言葉を尽くして、好きを隠さずにいられない人、ぜひ書いて送ってくれるとうれしいです。

yosuke282@gmail.com

 

見せたい人に、さりげなくこのブログを紹介すれば、あらふしぎ。1000字に渡るあなたの熱い想いを、押しつけることなく見せることができます。

 

 

なんだか、だれかへの好きって、すごく言いづらい。

わざわざその人を掴まえて、あなたのこことこことここが好き! って急に言ったら、どうしたの、お金は貸さないよって言われそうだ。

文脈がない中で、あえて伝えるところに、下心を感じてしまう。

そのくせ、嫌いを伝えるのは、正当化される節があるように感じていて、なんだか嫌だなあと思う。

人のことを嫌いって言える人がぼくはあまり好きではなくて、そんなこと、言われたくないなあと思う。

 

ぼくは人に嫌われたくない。

だれかに嫌いと言われたら、その人のことを、少しだけ嫌ってしまうから。なんだこいつ、って思って、ちょっと嫌な気持ちになって、じぶんもその人のこと嫌いになってしまって、その感情が何よりも嫌なのである。

だから、嫌われたくないなあと思う。

じぶんの中で嫌いという感情を生みたくないなあと思う。

 

嫌いって、相手に求めてしまう感情なのだとぼくは思っている。

直した方がいい、とか、間違っている、とか、正そうとする力の働くもの。

 

だから、ムカつく、とか、腹たつ、とか言うようにぼくはしている。

もしかしたらあまり変わらない言葉なのかもしれないけれど、「嫌い」という言葉の持つ強さより、ちょっと和らぐ気がして、矢印の向きも他者からじぶんに向くのではないかなあと考えている。

ムカつくのって、じぶんのお腹の中だ。その感情は、じぶんがどうにかするしかなくて、だれかに対しての「ムカつき」は、じゃあそのムカつきをなくすためには、じぶんがどうすればいいのか? というのを考えるきっかけになるのだと思う。

 

嫌いは嫌いを生むのと同じくらい、いやそれ以上に、好きは好きを生む。

好きを隠さないでいるのって、とても幸せで、豊かなことだ。

エゴにならないようにだけ気をつける。

その一つの正解の途中が、この場所なのではないかなあと思って。

そんな、

言葉尽くして、好き隠さず

な人が増えてくれたらなあと思っている。