ベビーカーを押す男性は増えていない話
結婚を意識しだすと、急に街中の家族づれがよく目にとまるようになるという。
ぼくは最近、赤ちゃんを抱っこしている男性、ベビーカーを押している男性、子どもと二人で回転すしに行く男性などを、よく目にするようになった。
平日の昼間から、ベビーカーを押している男性をみると、なぜだかちょっと幸せな気持ちになって、思わず「こんにちは」とあいさつしてしまいそうになる。
幸せな気持ちになるのはおかしな話だった。両親がいるのだから、父親が赤ちゃんを連れているだけで、なんかいいなあと思うのは、女性に対する差別というか、ステレオタイプを意識しすぎているようにも感じた。
ただ、赤ちゃんや子どもを連れている人間をみると、それがおばあちゃんでもおじいちゃんでもお兄ちゃんでもお姉ちゃんでも父親でも母親でも、女性男性に関わらず、ふかふかと、ふくふくと、あったかな気持ちになるので、別にいっかあと思う。
ここ最近、急によく見るようになったのは、なぜだろう。
ぼくが子育てや、家族に関して、意識するようになったのだろうか。
それとも、単純に、ぼくの周りで偶然、あえてぼやけさせてもらうと、「そういう」男性が増えたのだろうか。
わからなかった。
ぼくの中で、何か心境の変化があるようなできごとは、とくに思い当たらない。
しいて言えば、可愛すぎる甥ができたことか。
言われてみれば、甥の存在は大きい。
そうか、甥か。
なんてことはない。
最近ベビーカーを押す男性がよく目にとまるようになって、なぜだろうなあと思っていたけれど、きっと、甥の乗ったベビーカーを押した手の感触が、無意識のうちに忘れられずにいたのである。
どうしよう、勝手に納得してしまった。
可愛すぎて、愛おしくて、子どもってなんてすてきなんだろうと思う。
人の子どもでこんな思うなら、じぶんの子どもだったらどうなってしまうのだろう。
きっと、あまり変わらない気もした。
ぼくはもう、愛しきっている。
とてもとても、陳腐な愛で、愛とは呼べない、まがいもの。
偽物の愛でも、害がなければ、別にいいのだと思う。
押されたベビーカーの中で、きっとまだ広すぎて、何かもよくわかっていない青空をみて、笑っている。
誰もが、愛に満ちた顔でその子を見ている。
じぶんの親も、こんな顔してぼくのことを見ていたのかと思うと、くすぐったかった。
いつかぼくも、こんな顔をしてじぶんの子どもをみる日が来るのだろうか。
それもまた、すてきなのだと思った。