裸の人が好きな話
温泉とか銭湯とかが好きなのだけれども、それは「ほぅ」という感じが好きなのである。
ぼくは小説とか物語が好き。
いろんな理由はあるけれど、その一つは、読後に「ほぅ」と息を吐いて、ぼぅっとさせてくれるから。
あったかいお風呂にも同じような効果があって、ゆったりと落ち着いて、何も考えずに露天で空を見上げながら「ほぅ」とするのがとても気持ちいい。
この「ほぅ」はかけ算ができて、小説を読み終わったあとにお風呂に入って息を吐くと、格別なのだ。
銭湯に友だちと行くのが結構好きで、いわゆる裸の付き合いをよくする。
これがまたよい。
裸のよいところは、着飾っていないところだ。服って結構、その人を表している気がして、だからファッションもすごく好き。なのだけれど、だからこそ、服の要素を排除した、偏見の入ってないその人自身を見るのが好きなのだ。
裸の人って変にかっこつけないし、髪型もいじらないし、鏡も見ない。ありのままの、ぼくとあなた、という関係性の中での会話は、素を出せる気でいる。
ていうか、裸なんだし、かっこつけられない。そしてそこがいい。脱衣所で一枚一枚脱いでいくと、普段は隠しているものだから、なんだか恥ずかしい気分になって、心すらも隠せない気がして、見透かされているようで、最初は少し緊張する。
けれど、シャワーを浴びて、身体をキレイにして、おっきな湯船に浸かると、もう心は「ほぅ」として、とても気持ちいい。
そしてなんでも話せそうな気がしてまう。
実際はお風呂の中よりも、お風呂を出たあとの方が会話は弾むのだけれど、裸の瞬間なくしてお風呂後のあけっぴろげな会話はないだろう。
だからぼくは、裸の人が好きだ。
ただ、この話と180度変わってきてしまうのが、女の子だ。女の子は裸ではなく、服を着ているに限る。
別にコスプレしてほしいとかそういうわけではなく、ただ見えないところに良さがあるのだとぼくは思っている。
だからパンツしかはいてない女の子よりも、パンツが見えるか見えないかの女の子の方が、とてもいい。
こんなフェチズムの話をするのはとても恥ずかしいけれど、たしか藤原道長さん(仮名)が平安時代になんか満月を見ながら同じようなことを言っていた気がするし、恥じることはないのかもしれない。うろ覚えだけれど。あれ、言ってなかったっけ。
服って、品性が出る気がして、だから、服を着ている女の子が好きなのだろう。
ぼくは個人的にだけれど、二人きりでいる男の子に品はいらないと思っていて、女の子は品がある方がよりすてきだなあと考えている。
だから冬の方が好きだったりする。
冬は露出が少なくて、落ち着いた服装になる人が多い。とてもきれいだ。
そしてジーンズは苦手である。
デニム素材が苦手である。これはもったいないなと思っているので、すぐに克服したい。ジーンズやデニム素材に品がないなんて、失礼な話だから、いい着こなし方をしている人がいたらぜひ紹介してほしい。
そしてデニムが苦手なぼくに、ことあるごとにデニムを見せてくる(着てるわけでもない)のを、あおた(仮名)とこうたろう(仮名)はやめるべきだ。ニヤニヤしながら見せられたら、余計イヤになってしまうではないか。
道長さんもデニムはイヤって言ってたよ。
知らんけど。