高校に行った話

f:id:yosuke282:20191021200201j:image部活で使っていた水道。すぐ隣が体育館で、ここらへんで部活終わりにはしゃいでいた

 

高校って、とても不思議だ。学校に私服で行ってもいいくらいのうちの校則の緩さも大きいのかもしれないけれど、どこか自由さと不自由さが強く同居している空間だと思う。携帯電話だって漫画だって持ってこれるのに、一限を自主休講なんかした日には、反省文を書かされる。中学のときには信じられないくらいできることは増えて、放課後の買い食いがすごく楽しくて、自由を感じていたけれど、窮屈さもあって、卒業して早く大人になりたいな、とか思ってた。

f:id:yosuke282:20191021200211j:image怒られるかなあとか思いながらぱしゃぱしゃ写真を撮った

 

昨日、ちょっと用事があってじぶんの母校に行ってきた。お昼にいったのだけれど、テスト期間中ということもあって、放課後のような騒がしさと、活気と、けれどテスト勉強をしてて、地に足ついた感じの、文化祭前というよりかは合唱コンクール前のような雰囲気。

ぼくの知っている先生もまだいて、グレーゾーンの許可をいただいて学校に足を踏み入れたのだけれど、すごくどきどきした。昔を思い出して感傷的になったのと同時に、こんな年にまでなって学校に入ることが、すごく場違いな気がした。

思い出すと、甘酸っぱいものが一ミリもない高校生活だった。共学で、女の子もいて、今のぼくからしたら、興味ないはずないのに。そのときは、好きな子とか、彼女がほしいとか、そういったことをまったく考えなかった。

とにかく毎日、なおや(仮名)といたのを覚えている。一年生のころに仲良くなったなおやとは、今に至るまでずっと仲良しで、人生で一番深い仲の友だちと言ってよかった。最近はバンドの活動が忙しいのか、ぜんぜん構ってくれなくなって寂しい。もはや連絡もとれない日々が続いているのだけれど、なおやのおかげでぼくは、遅刻をされる気持ち、返信こないときの気持ち、とか、いろいろ学んで、じぶんはそうしないようにしよう、悲しませてしまうから、と考えられるようになった。

おおよそ健全な男子高校生とはかけ離れた生活をしていて、不健全きまわりないぼくらは、一日中カラオケに行ったり、一晩中くだらないことを議論し続けたり、試験前の勉強を邪魔しあったりしていた。

f:id:yosuke282:20191021200205j:image3年生の時には一年間留学していたため、思い入れのない教室

 

高校の建物それ自体に、あまり強い思い出はなかったし、ほかの人の甘酸っぱいエピソードも何一つわからなかったから、平気なはずだったのに、校内を歩くのはとても恥ずかしかった。試験期間中だったから学校の中には勉強している子たち、おしゃべりしている子たち、お弁当を食べている子たちがいて、みんなにやにやして、楽しそうに過ごしていた。なんだかすごくどきどきして、彼らの「すごくトクベツな人生の途中」を覗き見しているのが可笑しくて、くすぐったかった。

f:id:yosuke282:20191021202449j:image去年、うちの高校にあいさつをしにいった二人の友だちがいるのだけれど、彼と彼女は、何を感じながら廊下を歩いて、教室を見たのだろうか。きっと、とてもとてもトクベツだったのだろうなと思った。なんだかすごく優しくて、あぁ、今、幸せだなあと感じたのではないだろうか。そうだったら、すごくいいなあ。今ここにいる高校生の彼らも、ぼくらも、どんなおっちゃんやおばあちゃんだって、今この瞬間が人生の途中だ。それって、すごく素敵。高校に行って、なんだかその、途中であるすごさみたいなのを、肌で感じられた気がする。