あおたはたぶん風という話

ぼくの大学生活の中で一番ともに遊んだのは、今のバイト先で出会った一つ下の後輩かもしれない。

※プライバシーに配慮して、ここではあおた(仮名)と呼ぶ。

カメラロールに保存されていた、顔認識されたあおたの写真の数は、ちょうど1000と1枚だった。

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こんな感じのやつ。バンドマンで、服が個性強くて、口グセは「酒はまだか」と「NO ALCOHOL NO LIFE」

 

 

あおたとは、ぼくが大学2年生だったとき、夏に始めた和食のお店で出会った。彼は1年生だったが、ぼくよりも1ヶ月先にアルバイトを始めていたので、一応仕事上は先輩ということになる。夏休みは二人してばかみたいにシフトを入れて、こわい料理長にどやされながらキッチンで料理を作っていた。

ぼくがあおたに持った最初の印象は、軽そうだなあ、というもの。仕事中も彼はよくしゃべった。人当たりがとてもよくて、冗談を言うことも多かった。

あおたと仲良くなったのは、その年の4年生たちを送るために開かれたお別れの会からだった。3年生になって、そこからぼくはバイト先の人たちとの飲み会をよく企画するようになる。あおたと二人で飲んだり、ほかの人も一緒に3、4人とかで飲むことも増えた。あおたの彼女のけいのさん(仮名)も同じバイト先だったこともあって、ぼくらは3人で遊ぶことも多くて、あおたとけいのさんとぼくとで行った水族館の数は、3つじゃあ足りない気がする。

ぼくの大学の友人、こうたろう(仮名)と偶然会うことがあって(それとも故意だったのかは今となっては覚えていない)、そこからこうたろうとあおたとぼくの三人でもよく遊んだ。

ぼくとあおたは見境なく人を呼ぶクセがあって、しかもお互いがためらうことなく相手のコミュニティに飛びこむものだから、ぼくの友だちはだいたいあおたを知っているし、ぼくもあおたの友だちをそれなりに知っている気がする。

 

あおたは友だちが多い。というか、誰のことも好きになって、二言目には「一緒に飲みましょうよ」と誘っている。分け隔てなく接する彼を、ぼくは心から尊敬している。だから、知らないコミュニティにでも飛び込んでいけるのだろうなと思う。人を好きになるのも、好かれるのも、とても上手だ。

ぼくが落ち込んでいたときなんかは、三日三晩酒を一緒に飲んでくれたこともある。

彼もまた「人好き」なのだろうと。だからぼくは、彼が好きなのだろう。

 

たまに不思議に思うことがある。あおたはひどいやつだと、ぼくは感じている。それはなぜだろう?

ぼく自身もじぶんのことを(とくにあおたに対しては)ひどいやつだと思っているので、まったくあおたを責めているわけではないが、あいつはひどいやつだとなぜか確信を持って言える。

店長からの連絡を無視するところや、ぼくに20時間以上も運転をさせて酷使するところ。(ぼくも彼の足をケガさせたり靴を壊してしまったり誕生日会をすっぽかしたりしている)。

誰かが発した言葉をそのままほかの人に伝えて、彼はそこに面白さを感じているのだけれど、悪意のあるように見える伝わり方をしてしまう。発した方はほかの人に伝える意図はないのに、あおたが伝えてしまったことで、ほかの人は不必要に傷つく。

ちょっと言葉だと伝えづらいので具体的に言うと、あんどうさん(仮名)とぼくが二人で飲んだのだけれど(あおたが企画したくせにすっぽかした)、ぼくの自分語りが激しくて、あんどうさんはイヤだったらしいのだけれど、めちゃめちゃ酔っ払ったぼくにそれを伝える必要はなくて、ぼくはめちゃめちゃ落ちこんだ。みたいな。そういうことをあおたはよくやる。

通りすがりのユーチューバーや居酒屋で態度の悪い隣の客とかにたいしても、彼は非情になれて、ぼくはとてもひどいなと思う。

ただ、そのひどさは、どこか無邪気な気もした。子どもがありんこの手足をもいで水に浮かべる、のような、残酷さと無邪気さが同居した、思わず震えてしまうようなひどさ。

 

あおたはとても、今を生きている。人とともに、今を生きようとしている。

それは、風にも似ている気がした。

彼は風だから、一つのところに留まることができなくて、風だから、とらえどころがない。

風だから、旅人のコートを脱がすことはできなくて、一緒にいると、ぼくは意地っぱりになって、対抗しようとしてしまう。

風が起こす災害みたいに、悪意のないひどさだから、やっぱり好きだなあと思ってしまうのかもしれない。

 

あおたはたぶん、風。

酒と人と音楽を愛してる、陽気な風だ。

ぼくはそんな風が、好きでたまらない。

だからずっと、吹き続けていたらと願わずにはいられない。