女の子が好きという話

ぼくは女の子が大好きだ。

別に男の子が嫌いというわけではないが、女の子の方が心、感情というものを大事にしているというか、話しているときに情報量が多い気がする。男性は言葉に言葉以上の意味をあまり持たせない印象。事実を事実として話して、それがしゃべっていようが、パソコン上の文字だろうが、あまり変わらない。女性は違くて、しゃべっている声音、顔の表情、目線、身体、すべてを使って会話をしているように思う。だから彼女らは、人の目をみて話す。男同士だとこうはいかなくて、スマホをみながら、事実ベースの会話しかしないことも珍しくない。

 

ぼくは結構、女っぽいと言われることが多い。

メカとかドリルの良さがわからないし、歴史にロマンを感じないし、何かを蒐集したいとも思わない。

よく泣くし、恋バナ好きだし、おしゃべりも大好きだ。

感情を合わせるのがすごく好きで、というか勝手に感情をチューニングしてしまうタチで、だから一緒にいる人が楽しそうにしてたり、すごく幸せそうにしてたりすると、同じ感情になってあたたかな気持ちになる。

感情の起伏というか、幅が広いのが女の子だとぼくは思っていて、ジェットコースターみたいで飽きない。しかもその感情のジェットコースターにはぼくも一緒に乗れて、泣いたら悲しくてぼくも泣くし、笑ったらぼくもうれしくて笑う。

だから、子どもも好きだ。何も飾ることのない、素の感情を、顔で、身体で、全部使って表現してくれるから。

それぞれが持ってる感情は、すごくたくさんの色をしている。どの色もとてもきれいで、怒った顔も、泣き顔も、笑った顔も、恥ずかしそうな顔も全部、すごくすごく好きだなあと思う。

 

じゃあじぶんの中で付き合いたいと思う女の子と思わない女の子の違いはなんだろうと考える。好きが溢れて苦しくなるこの感情は、ずっと前にも抱いたことがある。この子しか考えられないという今の感情も、いつかは変わってしまうのだろうか。

本当に、今すごく大好きな人。今まで大好きになったたくさんの人。

付き合うっていうのは、すごく難しい。

 

ぼくは女の子が好きだ。

心が好きだから。

数字の美しさとか、解が出たときの気持ちよさとか、白黒つく勝ち負けとか、そういうものがきらいなわけではないけれど。

答えのない答え、人の数だけ違う心というものに、ぼくの心はひかれてやまない。

だから、どんな女の子であろうと、そこに心がある限り、ぼくは好きだ。

 

けれど、そんなものすら超えて、彼女が彼女らしくいることが、愛おしい。

そこにぼくは、いないけれど。