シェアハピ(あたおか)の話

よく漫画とかで出てくる、情報屋みたいな仕事の存在は、ほかの人は知らないけれど自分だけが持っている情報というものに価値があることを教えてくれる。沈黙は金、と言うし、自分だけが知っていることというのは、あまりぺらぺらしゃべらない方がよいとされている。

つまり、シェアハピとは、シェア(共有)するのが大好きな頭のハッピー(あたおか)な人のことを指す。


ぼくはそんないわゆる、シェアハピ野郎で、ぼくにかかればどんな秘密も、ここだけの話も、ほんとにあっというまに広まる。

違うコミュニティのAくんとBくんとか、友だち同士を引き合わせて一緒にご飯を食べたりお話するのが趣味でもあるのだが、そんなとき、Aくんの恋人にふられたエピソードとかを、Bくんはこと細かに知っていたりして、あぁ、うわさのAくんね、ぐらいの感じで初対面を迎えることもまったく珍しくない。

ぼくは自分の人生は一つの小説とかと一緒だと思っていて、それ読んで面白いなあって思ってくれたらいいなあって常に考えている。だから何にでも首をつっこむし、全力でやるし(だって全力でやって失敗した方がたぶん面白い)、そこで何かを学びたいという気持ちももちろんあるが、話のネタになれば御の字くらいのテンションでいる。

 

自分の人生においてこの考え方はとても生きやすくしてくれて、常に反省をし続けながらも、次はもっとがんばろうと思わせてくれるので好きだ。けれど、いかんせん他人にも適用してしまって、人の大事な秘密やあまり暴露されたくなかったエピソードとかをだれかれ構わずしゃべってしまう。まあ違うコミュニティの人だし、彼らが交わることはまあないだろうから、大丈夫だろうと思ってしゃべってしまっても、まあ交わるはずのなかった彼らを引き合わせているのは何を隠そうぼく自身なのだからまあ救いようがない。

 

ぼくはひみつというものがあまり理解できない。うそをつくこともあまり理解できなくて、ばか正直にほんとのことを話してしまう。話したくないことは話したくないと言う。好きな人には好きというし、嫌いなところは嫌いと言う。ただ、その言い方にはすごく気をつけていて、心をそのまま手渡しできたらいいんだけど、それはできないから、互いにチューニングした不確かな言語というもので、ゆっくり、大切に言葉を渡している。こちらが受け取るときも、相手ががんばって心を言葉に変換したんだよなあ、という前提を胸に刻んで、表情とか、声音とかをみながら、じぶんの心に入れている。