お金が一番大事

こうだ!

 

と正しさを決めつける人がいる。

 

決めつけることが悪いとは思わないけれど、何だか違和感を覚えていて、その正体がじぶんの中で、最近すとんと落ちた気がした。

 

お金が大事だ、お金はあればあるほどいい、と言う、若い学生の身分の人たちが周りに多くいて、ぼくはふに落ちていなかった。

今もふには落ちていない。

 

お金以外にも大事なものってたくさんあるし、お金以上に価値のあるものはあるでしょ、何でそんなこともわからないでお金さえあればどうにかなるって考えっているんだろう、ってぼくは思っていた。

ただ、そんなことを言うと、甘いだの、きれいごとでしかないとか散々な言われようをする。

 

これが、とてつもなくモヤモヤしていた。

そして、最近ふと気づいた。

そうか、あなたが言ってるからぼくには響かないのか、と。

裏返すように、ぼくが言ってるからあなたにも響かないのか、と。

 

すべての学生が”そう”とは言わないけれど、少なくともぼくの周りにいた学生は、基本的にそれなりに裕福なはずだ。

もちろん、決めつけるのはいけないことだし、当人には当人しかわからない苦労があるのかもしれないけれど、少なくない人がーー学校に通えているという事実一つとってもーーそれなりに貧困から遠いところにいるには違いなかった。

 

そんな、本当の意味でお金に苦労したことのない学生が、お金が一番大事である、あればあるほど良い、と言うのが、どうにもぼくには納得がいかなかったのである。

 

例えばナルトで、ナルトが生まれた時からいろんな人に囲まれて、学校でもめっちゃ友達いて、ひとりぼっちになったことが一回もないような人間だった時、彼が口にする「仲間は大事だ」という言葉に、どれほどの重みが出るだろうか?

ずっと一人ぼっちで、ようやくできたと思っていた仲間を失い、裏切られ、傷つき、苦悩したからこそ、ナルトの生き方、仲間が一番大事だという思いが、ぼくたちの心を打つのだと思う。

 

 

物語の登場人物って、決めつけることが多くて、だからぼくらも真似をして、○○が一番大事、とか、絶対こうだ、とか言ってしまうのかもしれない。

ぼく自身も、決めつけることはある。

ただ、きっとほとんどの人たちにとって、それを決め付けられるほどの背景も、重みも感じられないからこそ、こうである、という断定は、じぶんの青さを見せつけてしまうだけの行為なのかもしれないとぼくは思った。

 

お金の痛みを理解していない(と思われる)人間の言う「お金は一番大事である」との言葉に、もやもやするじぶんにももやもやしていた。

その理由がお金のプラスの面のみをみて生きてきた人間が、マイナスの面をみて生きてきた人間を知った気になって、あのようになりたくはないから、今後も今までのような裕福な生活を送るためにも「お金は一番大事である」と言っているように思えてもやもやしていたのだとわかって、なるほどなあと勝手にじぶんで納得をしてしまったのである。

 

同じように、ぼくの「お金があればあるほどいいとは思わない。お金なんかへでもないくらい大事なものがこの世にはある」という主張も、相手方からしたらふに落ちないのだろう。

 

生まれた時からお金持ちのやつが「お金は大事じゃない」とか言っても、またそれも違くて、一銭もない状態から生まれて、めちゃめちゃお金がなくて、その後大富豪になってようやく、「やっぱりお金は一番大事なものではなかった」

って言えたら、きっと説得力というか、納得感は変わってくるはずだ。

どっちも知っている人だから。

お金がある状態とない状態をきちんと経験したことのある人だから。

 

まあ人には人の価値観があるし、否定するべきではないのだけれど、どうしてももやもやしてしまっていたので、もやもやの理由がわかった今、もう少し理解を持って、彼ら彼女らの主張をきけるようになったのかもしれないと思うと、ちょっとうれしかった。

なんか、違くね? と思ってた理由がわかって、だからこそぼくの主張も相手から「なんか違くね?」と認識されることがわかったから、わざわざ「いや、あなたは間違っている。なぜなら、〜〜」とじぶんの考えを主張したいと思わなくなった。

 

だからもし今後同じような会話になった時、説得ベース、議論ベースで相手への言葉を組み立てるのではなく、お互いの考えを知ることとか、何でそう思うようになったのかを理解しようとする納得ベースで話せるはず。

 

すっきりしたあ。