その人がほしいって恋愛の感情なの?

ほしいって、どんな感情なんだろ。

 

じぶんのいろんなもやもやした感情について考えて、言葉をあてはめようとしてみて、ふとパズルのピースがはまるときみたいに、ぴったり見つかることがある。

そうか、「ほしい」のか。

とか。

そうか、「もっと一緒にいたい」のか。

とか。

そうか、「幸せそうな顔を見たい」のか。

とか。


一度ピースがはまってしまうと、それを取り出すのって難しい。

たぶん他にもふさわしい言葉があって、仮として入れたはずの言葉のピースだったのだけれど、どんどんそのピースは枠に馴染んでいく。

 

じぶんの心を言葉で確定させることって、とてもとてもこわい。

もうそれ以外の言葉ではありえないとすら思ってしまって、

「そうか、好きなのか」

と思ってしまったら最後、その言葉はひっくり返らない。

 

ほしい、ってどんな感情なのだろうか。

とても一方的で、傲慢で、わがままで、独りよがりの、歪んだ感情。

たぶん、傷ついてしまうのがこわくて、じぶんの大きくなりすぎてしまいそうな心にふたをしたいだけ。

 

好き、ってどんな感情なのだろうか。

一方的なものには違いなかった。

 

ほしい。

どんな服も、機器も、本も、料理も、体験も、家も、捨ててしまってもいいと思えるほど、ぼくは執着がない。(生まれたときから当たり前にあったから、ただひたすらに裕福なだけとも言える)

なかったら困るし、必要には決まっているのだけれど、代替できるモノはいくらでもあるし、人そのものに比べたら、何もいらないとすら思える。

ありとあらゆる物欲を満たしたとしても、暮らすのが無人島で、だれもいないんじゃあ、ぼくには意味がなかった。

 

ぼくが今まで会ってきた人間って、その人に対して好きしか湧かない場合と、好きと嫌いが同じくらいある場合の二種類しかない。

好きしか湧かない人への好きが10だとすると、好きと嫌いが同じくらいある人への好きは100、嫌いも100。厳密には好きが110くらいあって、差し引きすると、好きしかない人と同じ、好き10になる。

でも、どっちが大好きかというと、後者でしかない。

 

好きだけ、って楽だ。

好きじゃないところから目を背けて、遠ざかって、ほどよく距離をとって、好きと言えばいいだけなのだから。

ちょっと違うなあって思う人がいたら、ぼくは好きしかみなくなる。

嫌いなところに気付いても仕方ないし、時間の無駄だし、どうでもいい人にさく心の容量なんてないから、好きだけをみて、ゆるく、優しく、好きだな〜って思っておく。

だから、あえて強い言葉を使わせてもらうとすると、嫌いがあるって、とても大事なのだと思う。

少なくともぼくは、好きじゃないという感情に、ちょっとだけ心地よさを感じている。

 

あれ、なんだか話がずれてしまった。

 

もっとずらしてしまうけれど、この世には愛の物語が溢れている。

パパが遺した物語

という洋画をみたのだけれど(重いけど感動します、めちゃめちゃおすすめ)、その一つのシーンで、義理の母が娘に対して言った言葉が印象的だった。

「男っていうのは、愛がなくても生きていける。けれど、女は違うのよ」

宙をみつめて、辛そうにも悲しそうにもみえる顔で、彼女は言った。

ここで言う愛って、相互的なものなのだと思う。

男は一方的に好きでいられるけれど、女は双方に行き交うような好きを求めている。

双方向の好きを、彼女は愛と言ったのかもしれない。

 

そういう意味で言えば、ぼくのは愛ではなかった。

好きなのかどうかもわからない。

 

とても一方的なもの。

ただひたすらにほしい。

ほしい、という言葉は枠にぴったりと馴染んでいて、とり外せそうもなかった。