信念を持つ人しか挫折しない話

結局世の中を変えてきたのは、強い思いを持っている人だ。

そこには信念があって、だれに何を言われようとも曲げられないものがある。

強い思いをもっている人は美しいし、かっこいい。

 

ただ、挫折するのも、そんな信念を持っている人だ。

強くて真っ直ぐな線を持っているからこそ、折れる。

 

じぶんを律する厳しさとか、ストイックさというのは時に、何かを成したいとき、必要になることがあるだろう。

目標に向かって、まい進する心がない人は、挫折すらしなくて、それはただの諦めでしかない。

折れるほどの強い芯を、持っていない。

 

だから、挫折する人ってすごいなあと、ぼくは思う。

それだけの気持ちを持って、がんばって、でも叶わなくて、悔しくてたまらないのだろうなあと、思う。

 

強い信念を持っている人を、ぼくはとても尊敬している。

ただ、同時に怖いなあと感じる。

強くて真っ直ぐだからこそ、きれいなのだけれど、代わりにとても、折れやすい。

 

いやいや、信念が足りないんだ、本当の信念を持っている人は、強すぎて折れることはない。

何度叩かれようとも、嘲笑われようとも、無理だと言われても。突き通すだけの強さをこそ、信念と呼ぶんだ。

と、言う人もいるだろう。

でもこの世の中に、折れないものって、ないのだとぼくは思う。

人なんて、簡単にとは言わないけれど、ちょっとした拍子に、ぽきっと折れちゃうこともあるんじゃないかなあと、思う。

 

心が折れてしまったことを、弱さのせいや、甘えのせい、じぶん自身の不徳のいたすところと責めるのも簡単だけど、厳しすぎるなあとぼくは感じてしまう。

もっと、じぶんに甘くていいんじゃないかなあ。

がんばらなきゃ、がんばらなきゃ、がんばらなきゃ、ってなって、もっともっともっと、って求めていって。

がんばってるじぶんをほめてあげて、周りの評価とか、プライドとか、信念でさえも、一度そこらへんに置いて。背負ってる荷物を、一回全部おろすみたいに、身軽になっていい時もあるのだと思う。もうこの荷物持ちたくないなあと思ったら、持たなければいいのだと思う。

きっと、今、これを読んで、甘い、偽善者、ろくでなしとぼくを罵りたい人もいるだろう。

けど、たぶん、そんな人は、じぶんに対して厳しすぎるのだと思う。

ぼくに言われたって、ぼく自身が強くもないし、信念を生き様に表せていないから、きっとこの言葉はがんばっている人には響かない。

 

だから、ぼくがだれよりもがんばって、行動して、結果を出した上で。

一度荷物をおろして、肩をぐるぐる回して、後ろ振り返ったり、ぼぅっと上とか下をみて、なんとなく休むことも、とてもとても大事で、意味のないことはないのだと。

そう伝えられたらいいなあと、思う。

 

強さはすてきだ。

信念も、持ってしまえるのなら、その方が魅力的だと思う。

すごく強い思いを持った19歳に、発破をかけられた。

お前ががんばらないと、私がすぐに追い越すよ? って言われて、ぼくはうれしくてたまらない。

がんばってる人に、がんばらなくていいんだよ、と伝えるためには、ぼくががんばらなければいけない。

だからもっともっと、がんばろうと思う。

そう思わせてくれてありがとう。