読んだよって言ってくれる人の話
すごいうれしいなあって思う。ブログ読んだよ、面白いね、って言ってくれる人がいる。それだけでぼくはとてもうれしくて、にやにやしちゃって、ありがとうって思ってしまう。
ブログを始めるきっかけをくれた友だちも、「えらい!」とほめてくれて、はてなスターをくれて(用途はわからないけれど、100点満点のときに先生がはなまるを書いてくれるみたいな感じだと思っている)、すごくうれしい。
読んでくれて、ありがとう。あなたが面白いって言ってくれて、ぼくはとてもうれしいです。
取材をして記事を書く、みたいなインターンをやっていたことがあるのだけれど、そこでは自己紹介文を60字以内で書かなければいけなかった。
プロのイラストレーターの方が書いてくれたのだけれど、クリソツである
ぼくは何者なのだろうと考えて、何を持っているのかを考えたとき、じぶんがじぶんらしくあるために必要なモノって、何もないなあと思った。ぼくを構成する要素に、ギターや、本、ディズニー、カメラ、など、特定のキーワードが存在しなかったのだ。何もいらないと、思ってしまった。服も好きだし食べ物も好きだし温泉も好きだし猫も好きだけれど、本当に大事なものは何かなって考えた結果、ぼくには人しかいないんだなあと。
金になるモノは何も持っていないが、大切にしたいイイやつらがいっぱい友達。
ぼくの自己紹介文の、一番大事な一文。ぼくの周りには、イイやつしかいない。
読んでほしいと言ったら読んでくれて、面白かったって言ってくれる。それにすごく、すくわれる。
なんだか一緒にいてくれることとか、話してくれることとか、話をきいてくれることが、たまに当たり前に感じてしまうことがある。でも本当はそれって、すごくありがたいことだし、うれしいことだし、幸せなんだよなあ。
最近、じぶんのことや、人のことを書いてきて、余計その人のことが大事で、1日がすごく深まっていく感じがする。今まで見逃していた大切な気持ちとか、想いとか、忙しくてあまり考えられなくなっていったようなことと向き合って、心を噛みしめる作業というのが、とてもとても豊かだと思う。ただ、これがネガティブな方向に行ってしまわないかが少し心配でもある。考えれば考えるほど思考の渦にはまって、抜け出せなくなって、同じことばかり頭をぐるぐるしてしまわないかがこわい。
あと、決して消えることのない文字と、じぶん自身の考えとか行動が離れてしまわないかがこわい。なりたくないじぶんになったとき、理想を語ったじぶんが、責められてしまうのがおそろしかった。
でも、だからこそ、じぶんの言葉に、文字に責任を持つためにも、自らを律し、人への感謝を噛みしめて、なりたいじぶんになる努力をしたい。
きちんとありがとうって、目を見て言って、一緒に笑っていられれば、それはとても幸せ。
ここまで読んでくれてありがとう。すごくすごくうれしくて、今日も1日、がんばろうと思います。