男というどうしようもない生き物の話
男にモテるのって、めちゃめちゃ簡単だ。
女性が思う「いい女」って、ちょっとずれているなあとぼくは思っている。
負担をかけないこと、気が遣えることとかは、正直男性にとって、女性を好きになるときに必要な要素ではない。
男って基本的にバカだから、女性がきちんと考えて気を遣っていることに気づかないことが多い。
だから、なんでこんなにしてあげているのにお礼も何もないのだろうと思う人がいるのなら、直接男性に言ってあげたほうがいい。
きっとそれでも理解してもらえず、次第にその気遣いが意味のないことなのかもしれないと思いだすはずだ。
もし、好きな男の子がいるのなら、めんどくさいって思われないようにしよう、とか、嫌われたくない、って思って行動してしまうのは、遠回りになってしまうだろう。
負荷をかけた方がよい、とぼくはいつも言う。
男って結局、頼られたいのだ。
負荷とは、
「靴をはくときに一瞬荷物持たせる」
とか、本当にささいなことだったり、
「おいしいアボカドのお店に行きたい」
とか、一見、面倒でありながら、選択肢を狭めることによって大きすぎない負荷になっているのが大事なのである。
これが、
「今度ご飯連れてって〜」
とかだと、とんでもなく悪手だ。
今度って、いつだよって感じだし、ご飯って、広すぎて、お酒が飲みたいのか、ただご飯が食べたいのか、美味しいレストランに行きたいのか、わからないから。
さらに言えば、相手の得意分野であれば、そこに文脈が生まれるから、よりよい。
「ウィスキー好きって言ってたよね? わたしウィスキーの美味しいお店で飲みたいんだけど、今月あいてない?」
とかきけば、よいのだと思う。
負荷をかけられればられるほど、男は相手のことを好きになってしまう。
けれど、じぶんの彼氏に怒ったり文句を言ったりして、めちゃめちゃ負荷をかけて、それで嫌がられたり呆れられたりしてるよ、と思ってる人もいるだろう。
ここで問題なのは、それが負荷か、負担か、というところだ。
負担とは、重荷であり、壊れてしまうようなもの。
負荷とは、荷物なのだけれど、心地の良いもの。
もし、相手がめんどくせえ、とか、なんでやらなきゃいけないんだよ、と思ってしまったら、それは負担である。
負担は、相手に期待を押しつけることで発生する。
やって当たり前だと考え、もしできなければ、不機嫌になる。マイナスな報酬だから、負担をかけられた方も、嫌々でしかできない。
逆に負荷は、やってくれたら、喜ばなければいけない。大げさなほど喜んで、感謝して、それを伝える。
なんでそんな面倒なことをしなければいけないのか、相手が私のことを好きならこちらが望むことをするのは当然ではないか、と考えるのもわかるけれど、ここで重要なのは本来の自身の目的だ。
相手にやってほしいことがある。
その目的を叶えるために、
「ありがとう」
と満天の笑顔で言えば、喜んで相手がやってくれるのであれば、これほどちょろい(簡単な)ものはない。
笑っているその顔を見るだけで、それだけいいと思ってしまうのが、男というどうしようもない生き物なのである。